辺民小考

世の中の片隅に生きていますが少しは考えることもあります ― 辺民小考

日本国憲法を読んで自分なりに考えた(第2回:前文)

 第2回は日本国憲法の前文です。

 

====前文=================================
 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
=======================================
※原文は段落ごとの空行はないが、見やすくするため空行を入れた

 

 まず、全体として非常にわかりにくく、そのまま読んで行くだけでは理解するのが難しい文章だと思った。はっきり言って悪文だ。その一端は、やたら長い文が多いことにある(私の文章も同じ傾向があるが)。文が長いのは、「〇〇し、〇〇し、・・・」などと文を切らずにどんどん繋げたり、長い修飾句が挟まっていたりすることと、そもそも修飾が多いためだ。それに文の構造が込み入っていて、述語の対象範囲がどこからどこまでなのかなど文の構造が不明確なことも理解を難しくしている。

 これは、考えてみれば平安朝以来の日本の文章の伝統かもしれない。理解するには文を可能な限り切って、過剰な修飾を削除するのがよさそうだ。以下で、各段落ごとに、長い文を分解して意味を考えてみる。

<1段落目>
 1段落目は4つの文からなる。その第1文は前文全体の中でもっとも難解だ。述語が「行動し」、「確保し」、「決意し」、「宣言し」、「確定する」と5つあり、それらの間の関係が分かりにくい。私が注目したのは、「ここに」っていう言葉。もし、「行動し」から「宣言し」までがすべてまとめて「確定する」にかかるなら、「日本国民は、ここに」か「ここに、この憲法を確定する」となるはずだ。だから、「行動し」から「決意し」までがひと固まりで、それを受けて「宣言し」、「確定する」となっているんだろう。

 ここまで考えたところで、各文章の意味を考えるより先に、第1条から始まる本文の前に「前文」があることの意味を考えるべきだと思った。本文の前に「前文」という前置きを書くとすれば、先ず憲法を作った経緯を書くだろう。これこれの経緯で作ったと。そこで終わりにしてもいいが、そのあとに続けるとすれば、本文全体について、その元にある考え方(理念)などを書いて本文をどう理解すべきかという指針を示すだろう、と思った。

 

 そう考えると、第1文は、「行動し」から「決意し」までの経緯があってこの憲法を作ったという捉え方が出来る。その経緯の部分だが、「行動し」と「決意し」は憲法を作った経緯として読めるが、「確保し」は経緯とは思えない。ここは「恵沢を確保し、・・・戦争の惨禍が起ることのないやうにすること」を決意したと読むべきだろう。すなわち、その経緯は次のような構造で書かれていると考えられる。
  (a)正当に選挙された国会における代表者を通じて行動したこと
  (b)次の2つを決意したこと
   ①諸国民との協和による成果と、自由のもたらす恵沢を確保すること
   ②政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないようにすること


 ここで、(b)はこれを決意して憲法を作ったと素直に読めるが、(a)はどういうことか。これは、天皇による憲法公布に先立って日本国憲法を議決した帝国議会の前に衆議院選挙が行われていたことを知ってほぼ納得できた。

 

  ・1945年12月15日  帝国議会において衆議院議員選挙法改正法案が可決成立
    ※女性に初めて参政権、選挙権は20歳以上、被選挙権は25歳以上
  ・1946年4月10日   第22回衆議院議員選挙実施(その後、2名の再選挙実施)
    ※投票率は72.08%、当選者466名のうち39名が女性で比率は8.4%
  ・1946年10月7日   帝国議会衆議院および貴族院)において日本国憲法が成立
  ・1946年11月3日   日本国憲法公布
  ・1947年5月3日   日本国憲法施行

 

 「ほぼ納得」というのは、衆議院に関しては確かに「正当に選挙された国会における代表者を通じて」憲法を審議し成立させた(行動した)と言えるが、貴族院は皇族・華族・勅任議員から成り公選ではなかったからだ。これは一種のごまかしである。帝国憲法の下で、その手続きにより日本国憲法を作らなければならなかったため仕方ないことだ。しかし、それゆえに敢えて「正当に選挙された国会における代表者を通じて」と強弁しなければならなかったとも考えられる。

 

 このような経緯で憲法を作ったというのであれば、「決意し」のあとすぐに「ここに、この憲法を確定する」と書いてもよかったはずである。そこに、「主権が国民に存することを宣言し」と入れたのは何故だろう。これも、帝国憲法の手続きにより日本国憲法を作らなければならなかったために、天皇の権力により作られたと考えられるのを否定する必要があったからだと思う。だから、ここで言う「主権」は国を統治する権力という意味よりは、むしろ憲法を定める権力(憲法制定権力)のことを言っているのだろう。
 ここまでで、ようやく私なりの第1文解釈が終わった。

 

 1段落目の2文目~4文目は比較的わかりやすい構造をしていて、書いてあることは次のようにまとめられる。
  (1)この憲法は(人類普遍の)次の原理に基づくものである
   ・国政は国民の信託によるものである
   ・国政の権威は国民に由来する
   ・国政の権力は国民の代表者が行使する
   ・国政の(による)福利は国民が享受する
  (2)日本国民はこの原理に反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する

 

 ここで私が読み取った重要なポイントは2つ。一つは、「人類普遍の」というのはここに書かれた原理に対する単なる説明であり、たとえその原理が人類普遍のものでないとしても、憲法がこの原理に基づくということや、この原理に反するもの(憲法、法令、詔勅)を排除するということは変わらないという点。従って、そんな原理は人類普遍ではないよ、ということはこの憲法に対する攻撃にはならないということだ。


 もう一つは、(2)そのもの。特に、この原理に反する憲法を排除すると言っている点。これは、ここに書かれた原理に反する憲法改正は出来ないということだ。法令については、作られる法令が憲法の条文に直接抵触しないとしても、ここに書かれた原理に反する場合は違憲だということだ。詔勅について書かれているのは、旧憲法下での天皇詔勅を意識してのものだと思うが、日本国憲法下で出される天皇の名による文書や言葉もここに書かれた原理に反する場合は無効だ(効力がない)という意味と考えるべきだろう。

 

<2段落目>
 2段落目は3つの文からなる。その第1文は分解すると次のことが書かれている。
  (1)日本国民は恒久の平和を念願する
  (2)日本国民は人間相互の関係を支配する理想を自覚する
  (3)日本国民は、次のことによって、自分の安全と生存を保持しようと決意した
   ・平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼する

 

 (1)は戦争の惨禍のあとでこの憲法を作ったのであるから当然のこと。(3)は戦争が自国の「安全と生存を保持」するためと称して行われることを念頭において、戦争ではなく、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」することによって「安全と生存を保持」すると決めた、ということであり、日本国憲法が非戦平和主義に立つことの宣言と読める。だから、(1)を踏まえて、平和を維持する方法を考えた結果、(3)となった、と理解できる。ここでの問題は、その信頼が失われた時にどうするかということだ。そのことは憲法に書かれていない。現在の日本の公式の考え方は、自衛のためには国として戦う、ということである。しかし、たとえ自衛のためであっても国としては戦争はしないが国民は侵略に対して戦う、という考え方だってあり得るだろう。

 

 この文で分からないのは(2)である。「人間相互の関係を支配する崇高な理想」とは何だろう。政府の公式見解(第188回国会での小西洋之参議院議員質問主意書に対する答弁書)では、「友愛、信頼、協調というような、民主的社会の存立のために欠くことのできない、人間と人間との関係を規律する最高の道徳律」となっているが、そのような解釈では(2)が(1)と(3)の間にある理由が説明できないと私は思う。平和と平和を維持する方法に関連したことでないと、この文の中にある意味がないと思う。無理やり考えると、人間相互の関係において理想的な関係は平和的な関係であることを言っていて、国境を越えて人々がそういう関係にあれば国と国との関係も平和なんだという繋がり方かもしれない。

 

 いずれにしても、この2段落目の第1文のポイントは(3)にあることは確かだろう。


 余談になるが、「公正と信義に信頼」の「に」は「を」が正しいように思える。実際、2014年の衆議院予算委員会で当時議員だった石原慎太郎が「に」は間違いなので「を」に改めるために憲法改正してはどうかと質問したことがあった。それに関して、明星大学古田島洋介教授が「に」と「を」について分析している論考があったので興味がある人はどうぞ。→ https://www.jc.meisei-u.ac.jp/course/91/

 

 次に2段落目の第2文。これを2つに分解して書いてみる。
  (1)国際社会は平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を除去しようと努めている
  (2)日本国民はその国際社会において名誉ある地位を占めたいと思う

 

 これは、日本は国際協調主義で行くと言っているのだが、重要なのは、国際社会において名誉ある地位を占めるためには、その国際社会が務めている(と認識した)ことを日本も務める必要があるということだろう。直接必要があるとは書いていないが、名誉ある地位を占めるとはそういうことだ。国際社会は何に努めていると書いてあるのか。平和維持と人権擁護(専制と隷従、圧迫と偏狭の除去)だ。


 現在の世界において、国際社会のコンセンサスの中心的な場は国連だが、その国連の人権に対する勧告を、「拘束力がない」と言って無視する政府って何なんだろう。それを許している国民も。
 
 2段落目の第3文も分解してみる。
  (1)日本国民は次のことを確認する
   (a)全世界の国民が恐怖と欠乏から免かれる権利を有すること
   (b)全世界の国民が平和のうちに生存する権利を有すること

 

 ここでも第2文に続いて、人権について書いている。第2文が人権擁護に努めるということを書いているのに対して、第3文は人は生まれながらにして人権を持っていることを言っている。人権には色々な権利があり、ここでそのすべてを述べているわけではないが、一番重要と考えたものをあげているのだろう。

 

<3段落目>
 この段落は1つの文である。段落が変わったので冒頭は「われらは」でなく「日本国民は」である方がよいと思う。それはさておき、書かれているのは次の内容だ。
  (1)日本国民は次のことを信じる
   (a)いづれの国家も自国のことのみに専念して他国を無視してはならない
   (b)政治道徳の法則は普遍的なものである
   (c)政治道徳の法則に従うことは次の各国の責務である
    ・主権を維持し他国と対等関係に立とうとする国

 

 この段落で言いたいだろうことは分かるが、それを表す文が正確に言いたいことを表現出来ていないと思う。表現出来ていないところは2つある。
 一つ目は、「政治道徳の法則」というのがどんな法則なのかが表現出来ていないこと。(a)がその法則だろうが、実際の文ではそれを示せていない。「政治道徳の法則は」の前に「この」を入れるべきだろう。


 二つ目は、「各国」にかかる修飾語句である「主権を維持し他国と対等関係に立たうとする」が限定修飾語句だと読み取ることもできること。すなわち、政治道徳の法則に従うことは、いろんな国のうちで主権を維持し他国と対等関係に立たうとする国だけの責務である、とも読めてしまうといことだ。こう読むと、政治道徳の法則は、「他国と対等関係に立とう」としていない国にとっては責務ではなく、他国を無視しても構わないということになる。実際、そんな国がアメリカや中国を筆頭に沢山あるだけに、
はっきりと非限定修飾語句にすべきであった。但し、格調高そうな文章で限定修飾語句と非限定修飾語句を区別して表現するのは、日本語では難しい。格調を無視すれば、「この法則に従ふことは各国(それは他国と対等関係に立たうとするものだ)の責務であると信ずる」とでも書けるだろう。

 

 そんな突っ込みは別にして。憲法が自国に対して適用されるものであることを考えると、もっと重要なことは、この文は直接的には各国の責務に対する信念を述べているだけだが、その信念を持つがゆえに、日本は次のようにするということだろう。

 

   日本は主権を維持し他国と対等関係に立とうとする。
   そのため、日本は自国のことのみに専念して他国を無視してはならない。

 

 しかし、それは守られているか。アメリカとは従属関係にあり主権を侵害されることがあっても文句も言わず、最近では他国の懸念を無視して福島の汚染水を海に流すこともしている。私は上の文を「日本は」と書いたが、憲法は繰り返し「日本国民は」と書いている。だから、そんな日本になっているのは国民の問題だ。


<4段落目>
 この最後の段落は1文で前文全体のまとめとしている。過剰な修飾をすべてとるとこうなるだろう。
  
   前文に書かれた理想と目的を全力をあげて達成することを誓う

 

 ここにいう「理想と目的」が前文中のどこを指すのかを考えてもあまり意味がないだろう。前文中にいろいろなことが書かれているが、それを全体として捉えた言い方だと考えるべきと思う。


 私が気に入らないのは、「理想と」とあることだ。これはない方がよいと思う。理想を追求することは大事なことだと、私は考えるが、世の中には「それは理想だが現実は違う」とか言って理想に向かって努力することを放棄したり、理想を言う人をあざ笑ったりする人が多くいる。それを考えると、「理想と」はない方が良かった。

 

 最初にも書いたように、この前文は良い文章ではないと思う。しかし、書かれている内容に反対すべきところはない、と私は思う。