辺民小考

世の中の片隅に生きていますが少しは考えることもあります ― 辺民小考

日本国憲法を読んで自分なりに考えた(第1回:上諭)

 憲法を改めて読んでみようと思ったのはいつだったか。たぶん、憲法改正について今よりもっと騒がしかった時だろう。その時に、改正について考えようとしたが、そもそも自分が憲法を全文きちんと読んだことがないことに気付いた。いや、大学の時に「日本国憲法」という科目を履修したはずだから、その時に読んだかもしれない。読んだとしても単位をとるためだったろうから、ほとんど何も考えなかったに違いない。それで、改めて全文読んでみようと思った。そして・・・忘れた。

 

 何の切っ掛けか、そのことを思い出したので今度こそ全文を読んでみようとまた思った。何もしないとまた忘れるので、とりあえずさっと読んでみた。日本国憲法は他の国に比べて非常に短い(短い方から5番目だそうです)ので、そんなに時間を掛けずとも一応読めてしまう。ざっと読んだ時に、いくつか気になる条文かあったがそれを無視して、とにかく最後まで読んだ。終わったら、どの条文がどう気になったか既に忘れていた。これでは意味がない。それで、条文を一つづつ取り上げて自分なりにその条文について考えてみる、ということを思い付いた。それを実行してみよう。今回はその第一回。

 

 日本国憲法の全文を掲載したサイトは色々あるがどれも同じはずだからどれでもよい。衆議院のサイトのもの(衆議院トップページ >国会関係資料 >国会関係法規-日本国憲法)を使うことにした。日本国憲法の前文の前に書かれているものがあるので、今回はこれを取り上げる。

 

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 朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。

 

御名 御璽
  昭和21年11月3日

 

    内閣総理大臣外務大臣   吉田 茂
    国務大臣             男爵  幣原 喜重郎
    司法大臣                木村 篤太郎
    内務大臣                大村 清一
    文部大臣                田中 耕太郎
    農林大臣                和田 博雄
    国務大臣                斎藤 隆夫
    逓信大臣                一松 定吉
    商工大臣                星島 二郎
    厚生大臣                河合 良成
    国務大臣                植原 悦二郎
    運輸大臣                平塚 常次郎
    大蔵大臣                石橋 湛山
    国務大臣                金森 徳次郎
    国務大臣                膳 桂之助
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 調べてみると、これは「上諭」というものらしい。日本国憲法大日本帝国憲法をその改正手続きによって改正(まるっきり全部取り換えたのだが)したので、公式令という天皇の行為により作成される文書の様式・基準を定めた勅令に従って公布された。公式令第3条第1項に「帝國憲法ノ改正ハ上諭ヲ附シテ之ヲ公布ス」という規定があり、同条2項に「前項ノ上諭󠄀ニハ樞密顧󠄁問ノ諮󠄁詢及󠄁帝󠄁國憲󠄁法第七十三條ニ依ル帝󠄁國議會ノ議決ヲ經タル旨ヲ記載シ親署󠄀ノ後御璽ヲ鈐シ內閣總理大臣年月日ヲ記入シ他ノ國務各大臣ト俱ニ之ニ副署󠄀ス」と定められているので、その通りの形式になっている。

 

 国立公文書館デジタルアーカイブ日本国憲法の原本(https://www.digital.archives.go.jp/gallery/0000000003)を確認すると、憲法の本文は印刷された活字だが、この上諭の部分は毛筆手書きになっている。署名以外の部分は多分官僚が書いたものだろう。上記で各大臣の名前のところは当然自分で署名し、「御名」となっているところは天皇が「裕仁」と署名している。「御璽」というところは「天皇御璽」というでっかい判子が押してあった。微妙なのは日付のところだ。公式令には「內閣總理大臣年月日ヲ記入シ」とあり、日付は内閣総理大臣吉田茂が書かなければならないが、署名と文字の太さが違うので日付は吉田ではなく官吏が書いたのかもしれないと思った。しかしそんなことがあるのか。吉田は日付と署名で別の筆を使ったと考える方がよさそうだ。なお、上記の引用は衆議院のサイトの改行通りだが、日付は内閣総理大臣が書くことになっているし原本の配置も日付は「内閣総理大臣外務大臣」のすぐ前にあるので、「御名 御璽」の後に1行空けて日付の後ろは行を空けないのがよいと思った。衆議院も結構いい加減だな。

 

 この上諭を見て先ず思ったのは、現在の憲法天皇により制定された欽定憲法であることだ。日本の降伏の結果としての日本の占領は、すべての政府組織と天皇を含む統治機構を残したままでその上に連合国最高司令官を置くという間接統治となったため(但し、降伏時に既に占領されていた沖縄・奄美・小笠原は軍政により直接統治された)、現在の憲法が旧憲法大日本帝国憲法)の規定に従ってその改正として行われたことは理解できる。

 

 上諭に帝国憲法第七十三条が示されているのでその条文をみてみた。

====帝国憲法第七十三条==========================
 1. 將來此ノ憲󠄁法ノ條項ヲ改正スルノ必要󠄁アルトキハ敕命ヲ以テ議案ヲ帝󠄁國議會ノ議ニ付スヘシ
 2. 此ノ場合ニ於󠄁テ兩議院ハ各々其ノ總員三分󠄁ノ二以上出席スルニ非サレハ議事ヲ開クコトヲ得ス出席議員三分󠄁ノ二以上ノ多數ヲ得ルニ非サレハ改正ノ議決ヲ爲スコトヲ得ス
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 第1項を見ると、日本国憲法天皇が議案として議会に提出したことが分かる。形式的にはそうなっているが、実際はGHQの指示により政府(憲法問題調査委員会)が案の検討を始め、GHQとのやりとりの結果最終的にはGHQから提示された案を若干修正したものであることは知っている。しかし、憲法案は天皇に見せてその裁可を受けているはずだから、そこに天皇の意思も含まれていると考えた方がいいだろう。

 

 憲法制定のプロセスについては多くの研究がされていて、また「押しつけ憲法」云々という論争がやかましい。その論争について私の意見がないわけではないが、ここではそのことに踏み込まない。

 私には、2016年に衆議院憲法審査会事務局がまとめた”「日本国憲法の制定過程」に関する資料”

https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kenpou.nsf/html/kenpou/shukenshi090.pdf/$File/shukenshi090.pdf

が分かりやすかったということだけ書いておく。

 

 あまり重要なことではないが、第2項をみてちょっと驚いた。これをみると、憲法改正に最低必要な議員数は両議院(衆議院貴族院)でそれぞれ半分以下(三分󠄁の二以上の出席で三分󠄁の二以上の賛成)となっていて意外と少ない。

 

 各大臣の名前をみて、知っている人がほどんどいないなと思った。知っているのは吉田茂幣原喜重郎石橋湛山の三人だけだ。このうち、石橋湛山は今年が没後50年にあたるので少し前にその評伝を読んだ。湛山は1956年に首相になったが病気のため65日で辞任してしまった。湛山がもっと長く首相をしていれば・・・と「歴史のもし」を考えてしまった。