辺民小考

世の中の片隅に生きていますが少しは考えることもあります ― 辺民小考

9月1日 ― 書きたくなかったが、書かざるを得なくなった

 今日は関東大震災から100年目の日だった。地震で多くの人が亡くなった日である。私が生まれた以降でも、甚大な被害をもたらした巨大地震が、阪神・淡路大震災(1995年)と東日本大震災(2011年)の2回あり、その地震でも多くの人の命が失われた。多くの人が亡くなった地震のことを書くのは気が重い。関東大震災についてさらに気が重いのは、震災に乗じて数々の虐殺事件が起こったことだ。だから、書きたくなかった。
 だが、関東大震災のときに起きた朝鮮人虐殺についての松野官房長官の発言を聞いて書かざるを得なくなった。

 

●松野官房長官が記者会見で述べたこと

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関東大震災朝鮮人虐殺、松野官房長官「事実関係把握する記録見当たらない」

 松野官房長官は30日の記者会見で、関東大震災の発生時にデマによって起きた朝鮮人虐殺について「政府として調査した限り、事実関係を把握することのできる記録が見当たらない」と述べた。その上で、「特定の民族や国籍の人々を排斥する不当な差別的言動、暴力や犯罪は許されない」と語り、政府としてSNSの発信などを通じ、外国人差別解消に向けた啓発活動に取り組んでいると強調した。
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(以上、読売新聞オンラインの記事)

 

 この記事を読んで、朝鮮人虐殺があったことは歴史的事実だと思っていた私は、非常に驚いた。歴史的事実だが、政府内部には一切記録が残っていないということか? いくら100年前の大正時代だといっても、当時の政府が何の記録も作らなかったとは考えられない。その後、長年の間にすべて失われたか、あるいは敗戦の際に戦争関係の文書と同様に不都合なものとして焼却されてしまったのだろうか。

 

●日本ファクトチェックセンター(JFC)によるファクトチェック
 ネットを検索すると、松野官房長官の「(関東大震災での朝鮮人虐殺)事実関係を把握する記録は政府内に見当たらない」は不正確という記事が見つかった。以下、この記事による。
https://factcheckcenter.jp/n/nb3f98f67de27

 

 内閣府が2009年に関東大震災の詳細を記した「災害教訓の継承に関する専門調査会 報告書」を公表していて、その4章「混乱による被害の拡大」の2節「殺傷事件の発生」に、次の記載があるという(これ以外にも、報告書には「官庁記録による殺傷事件被害死者数」という表や、公的機関が残した記録が多数掲載されているとのこと)。

 

===「災害教訓の継承に関する専門調査会 報告書」より引用=========
官憲、被災者や周辺住民による殺傷行為が多数発生した。武器を持った多数者が非武装の少数者に暴行を加えたあげくに殺害するという虐殺という表現が妥当する例が多かった。殺傷の対象となったのは、朝鮮人が最も多かったが、中国人、内地人も少なからず被害にあった。加害者の形態は官憲によるものから官憲が保護している被害者を官憲の抵抗を排除して民間人が殺害したものまで多様である。(中略) 殺傷事件による犠牲者の正確な数は掴めないが、震災による死者数の1〜数パーセントにあたり、人的損失の原因として軽視できない。
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 これについて、松野官房長官は、翌31日の記者会見で次のように答えた。

「中央防災会議のもとに置かれた災害教訓の継承に関する専門調査会が、過去の災害教訓をまとめた報告書における記述を指すものに関することでございますけれども、従来から国会質問や質問主意書に対してお答えしている通り、当該記述は有識者が執筆したものであり、政府の見解を示したものではありません」

 

 政府(内閣府)が公表した報告書について、「有識者が執筆したものであり、政府の見解を示したものではありません」と言うとは、呆れると同時に怒りが起こってきました。


 また、内務省警保局長からの「取り締まりに関する電信文」というのがあって、これは、関東大震災において朝鮮人が爆弾を所持したり、放火をしたりしているから取り締まるように各地方に送られたものだという。この電信文が、震災直後の朝鮮人に対する警戒心や憎悪を広げる一因となったのではないかと、福島みずほ参議院議員が国会で質問していた。

 

 これに対して、松野官房長官は、31日の同じ会見でこう述べた。

内務省警保局長から各地方長官宛に発出された『取り締まりに関する電信文』と承知をしておりますけれども、従前から、これも国会質問や主意書にお答えしてきている通り、その内容について政府内に事実関係を確認することのできる記録が見当たらないものと承知をしております」

 

 意味がよく分からない答弁だ。電信文は防衛研究所戦史研究センター史料室に保管していることが確認されているので、「記録が見当たらない」というのは、電信文の存在や内容のことではなく、それが「震災直後の朝鮮人に対する警戒心や憎悪を広げる一因となった」かどうかについてかもしれない。

 

 JFCの記事には、上記の専門調査会報告書第4章第2節「殺傷事件の発生」を執筆した鈴木淳教授(東京大学文学部日本史学研究室)の次のコメントも掲載している。

「『虐殺』というのは外からの評価なので、治安機関による殺傷の報告や、裁判での判決などで『虐殺』という言葉は使われていないと思います。そこで『虐殺事件に関する資料を出せ』というと『ない』と答える余地はあります」
「資料から直接言えるのは『殺傷事件』の存在であり、報告書で事件の中に虐殺としか言いようのないものが多いと書いていますが、それは私の評価で、委員会の合意を得て報告書に載った見解です」

 

 以上のような検証過程ののち、JFCはファクトチェックの「判定」として次の結論を出している。

「殺傷」に関する資料は間違いなくあったとしても、それが「虐殺」かどうかの評価はまた別で「虐殺」に関して「事実関係を確認することのできる記録が見当たらない」という返答はありうるかもしれない。
しかし、「記録が見当たらない」という発言は、殺傷に関する事実確認自体が不可能なほど記録がないという意味に受け取られる可能性が高く、不正確(ミスリード)と判定した。

 

 不正確(ミスリード)とは弱すぎる批判だと、私は思った。政府が公表した報告書を政府の見解の見解ではないと言うのは詭弁だし、殺傷事件はあってもそれが虐殺かどうかの記録はないというのが言い分だとしたら、これは「朝、ご飯を食べたが、それが朝食かどうかは評価の問題だ」という新たな「変形ご飯論法」だと思った。

 

●何故なのかを考えてみなければ(でもまた出来ていない)
 今回の松野官房長官に限らず、多くの自民党政府関係者や国会議員が、過去の日本の不名誉な出来事について、今は当時の政府や社会のありかたから全く変わっているはずなのに、なぜできるだけなかったことにしたがるのか、私にはうまく説明できない。歴史修正主義という言葉で批判される動きだが、そうすることのその彼らにとっての利益と彼らの心理がどういうものなのか。

 

 彼ら自身の心からの思いなのか、それとも彼らを支持する人たちのある部分の思いを代弁することが利益になるからなのか。考えてみなければ、と思いながら、まだ考えることができないでいる。

 

●最後に
 明治以来の3つの大震災を比べた資料を貼っておく。

 

 この表をみて思うこともあるが、軽々しくコメントすることは避ける。
 多くの亡くなった人達に深く哀悼の意を表することだけにしたい。合掌。