辺民小考

世の中の片隅に生きていますが少しは考えることもあります ― 辺民小考

G7を主要国首脳会議と呼ぶインチキに抗して、新しい世界主要国会議を夢想してみた

 G7広島サミットが5月に開かれた。あまり関心もなかったが、TVは観ないし最近はラジオもあまり聞かない私も新聞は読むので、G7首脳らが原爆資料館に行ったことやゼレンスキーが来たことや広島ビジョンなるものが発表されそれに対する批判があることは知っていた。それらのことについて考えたことも少しあるが、会議の開催前に浮かんでいた「そもそもG7って何だろう」という疑問がよみがえったので、今回はそのことを書いてみる。

 

 G7サミットは「主要国首脳会議」という呼び方もあるので、世界の主要国が集まって会議をやるということだろうと漠然と思っていた。しかしそうだとすると、GDP世界第2位の中国が入っていないし、人口世界一になったインドも入っていないのはおかしい。世界の主要国の集まりじゃないじゃん。「主要国首脳会議」なんて呼ぶのはインチキだと思った。
 しかしこう考えたことの一端は、実は私がG7の「G」がGlobalの略だと誤解していたことにあった。G7とは「Group of Seven」で、世界の主要国ということではない。単に「7国からなるグループ」という意味だ。じゃあどんなグループなんだ。参加国のリストを見てすぐに浮かんだのは、NATOの主要国に日本を加えたグループだろうということ。NATOは軍事同盟だということを考えると、「ロシアと中国に対抗する軍事グループの主要国」と言った方がよいかもしれない。


 G7の意味を誤解したのは私が悪いが、「主要国首脳会議」と言われて「世界の主要国」というイメージを持つのはきっと私だけじゃないだろう。そうだとすれば、「主要国首脳会議」と呼ぶのは実際と違いことをイメージさせようとする企みであり、やはりインチキだと言いたい。

 G7を「主要国首脳会議」でなく「7か国首脳会議」と呼べと言うのであれば、話はここで終わる。しかし、私の思いはG7を離れて、世界の主要国の会議を考えるとすればどの国に参加してもらうのがよいだろう、ということに移った。それは実現の可能性ということは度外視した夢想に過ぎないが、そういう「お遊び」をやってみてもいいかと思った。

 

●何故、世界主要国会議を夢想するのか
 世界の国が集まって起こっている問題や今後の課題について話し合う場としては、様々なテーマ別に色々な国際会議があるが、一番重要で幅広く包括的な話し合いの場としては国際連合(国連)がある。国連の最終意思決定機関は国連総会と安全保障理事会だ。安全保障理事会の決議は各加盟国に対する強い拘束力を持つが、常任理事国に拒否権があるため、起こっている問題に対して有効な役割を果たせていないのが実情だ。一方、国連総会の決定(決議)は各加盟国に対する大きな影響力を持つものの、国連組織の予算や人事に対する権限を除いて勧告にとどまる。
 国連総会では加盟国がそれぞれ一票づつの議決権を持つという民主的な制度で運用されているが、一国内の地域格差より遥かに大きな加盟国間格差がある下では、賛成する国の数だけで決定しても世界の現状を変える強い力はなかなか発揮できないと思う。逆に言えば、例えば経済的な問題について世界的に大きな影響力を持つ数少ない国々の間で合意が得られれば、その問題について現実的に世界の状況を変えることが出来るということだ。

 

 一つの方向性としては、国連を改革して制度を変えるということがあるが、国連は軍事面での安全保障理事会の強い権限を例外して基本的には全加盟国平等の理念に基づいて設立されているので、世界的に大きな影響力を持つ国だけでものごとを話し合うということを実現するのは、私は非常に困難だと思う。それで、国連とは別の世界主要国会議を夢想したわけだ。もちろん、そんな会議を開いても参加国間で激しく意見が対立する問題では合意を得ることは難しいだろう。しかし、それでも安全保障理事会のような拒否権はない会議で、世界が関心を持って見つめる中で話し合うことには意味があるだろうと思った。

 

●経済的・軍事的観点から世界主要国会議を夢想する
 世界主要国会議を考える場合に、どういう観点から主要国を選ぶか。G7が30か国もあるNATO加盟国のうちで6国を主要国としているのは明らかに経済的・軍事的観点からだと思う(もちろんG7の歴史的経緯があるがその経緯は経済的に大きな国ということ)。G7そのものには批判的なことを書いたが、その主要国選びについては妥当性があると思った。
 それで、世界のGDP上位の7国を選び、それが軍事力大国もカバーすることになっているかチェックすることにした。

 

 2022年名目GDPIMF統計)の上位7国は、1位アメリカ、2位中国、3位日本、4位ドイツ、5位インド、6位イギリス、7位フランスだ。これをG7参加国と比べると、カナダとイタリアが外れて、代わりに中国とインドが入っている。このGDP上位7国を軍事力の面(Global Firepowerが発表した「2023年度の軍事力ランキング」による)から検討すると、軍事力2位のロシア、6位の韓国、7位のパキスタンが抜けている。そこでこの3国がすべて含まれるところまで、GDP上位国のリストを拡大してみることにした。結果は以下。

 

 GDP順位   国       軍事力順位  GDP順位-軍事力順位
  1位  アメリカ      1位      ±0
  2位  中国        3位      -1
  3位  日本        8位      -5
  4位  ドイツ      25位     -21
  5位  インド       4位      +1
  6位  イギリス      5位      +1
  7位  フランス      9位      -2
  8位  ロシア       2位      +6
  9位  カナダ      12位      -3
 10位  イタリア     10位      ±0
 11位  ブラジル     21位      ±0
 12位  オーストラリア  16位      -4
 13位  韓国        6位      +7
 ・・・
 41位  パキスタン     7位     +34

 

 パキスタンGDPが少ない割に非常に大きな軍事力を持っている。パキスタンはカミールを巡ってインドと敵対関係にあり両方とも核兵器も持っているからなあと納得してしまった。
 GDP順位と軍事力順位の差を見ると、(大雑把ではあるが)GDPに対して大きな軍事力の国と小さい国がかなり明瞭にわかることに気付いて、上のリストには「GDP順位-軍事力順位」を付記した。プラスはGDPに比べて軍事力が大きいことを示し、マイナスは逆に小さいことを示す。パキスタンの他に、GDPに比べて軍事力が大きい国は(+1という小さな違いを除けば)ロシア(+6)と韓国(+7)だ。ロシアは冷戦時代の米ソ対立から米ロ対立に変わっただけで軍事大国であることをやめていないということだし、韓国は北朝鮮と対峙しているため大きい軍事力を持っていることはうなずける(北朝鮮はGlobal Firepowerのランキングにはない)。一方、GDPに比べて軍事力が少ないのは(-1というのを除けば)、ドイツ(-21)、日本(ー5)、カナダ(-3)、フランス(-2)だ。ドイツの軍事力がGDPに比べて非常に小さいのが目立っている。日本は憲法戦争放棄して戦力を持たないと言っている国なので、GDPに比べて軍事力が小さいのは当たり前でむしろ軍事力順位で世界8位というのがおかしいくらいだ。カナダとフランスは概ねGDP相当の軍事力といったところか。


 ちょっと横道にそれたが、話を戻す。GDP順位でパキスタンまで含めると41か国になりちょっと多すぎるような気がする。せめて20か国くらいにしたいなと思った。そのとたん、G20(金融・世界経済に関する首脳会合)というのがあることを思い出した。
 G20は、「アルゼンチン、オーストラリア、ブラジル、カナダ、中国、フランス、ドイツ、インド、インドネシア、イタリア、日本、メキシコ、韓国、南アフリカ共和国、ロシア、サウジアラビア、トルコ、英国、米国の19ヶ国に加え、欧州連合(EU)が参加」とのこと。えっ、EUという地域グループを含めて20なのか。なるほど、そういう手があったか。地域グループの形でリストから外れた国を間接的に参加させるという方法だ。これは方法は使えそうだと思ったが、先ずはG20に参加している19国と上記のGDP上位13国の過不足をチェックした。
 GDP上位13国はすべてG20に入っている。逆にG20参加国でGDP上位13国に入っていない国はどこか。アルゼンチン、インドネシア、メキシコ、南アフリカサウジアラビア、トルコの6か国だ。では、これらの6か国が出来るだけ入るようにGDP上位国のリストを拡張してみよう。今度は軍事力は省いて(上記リストで軍事力10位までの国はすべてカバーしているので十分だろう)、GDPの額と世界に占める割合及びその累計を書く。

 

 GDP順位   国     G20参加国  GDP[百万US$]  対世界比率  同左累計
  1位  アメリカ    ◎     25,464,475   25.4%    25.4%
  2位  中国      ◎     18,100,044   18.1%    43.5%
  3位  日本      ◎      4,233,538    4.2%    47.7%
  4位  ドイツ     ◎      4,075,395    4.1%    51.8%
  5位  インド     ◎      3,386,403    3.4%    55.1%
  6位  イギリス    ◎      3,070,600    3.1%    58.2%
  7位  フランス    ◎      2,784,020    2.8%    61.0%
  8位  ロシア     ◎      2,215,294    2.2%    63.2%
  9位  カナダ     ◎      2,139,840    2.1%    65.3%
 10位  イタリア    ◎      2,012,013    2.0%    67.3%
 11位  ブラジル    ◎      1,924,134    1.9%    69.3%
 12位  オーストラリア ◎      1,701,893    1.7%    71.0%
 13位  韓国      ◎      1,665,246    1.7%    72.6%
 14位  メキシコ    ◎      1,414,101    1.4%    74.0%
 15位  スペイン    ×      1,400,520    1.4%    75.4%
 16位  インドネシア  ◎      1,318,807    1.3%    76.7%
 17位  サウジアラビア ◎      1,108,149    1.1%    77.8%
 18位  オランダ    ×        993,681    1.0%    78.8%
 19位  トルコ     ◎        905,527    0.9%    79.7%
 20位  スイス     ×        807,234    0.8%    80.5%

 

 この2か国でGDPは全世界の80%をカバーしていることがわかる。G20に入っていてここで漏れているのは、アルゼンチン、南アフリカなので、これと軍事力の大きいパキスタンの3か国には配慮した方がいいと思った。

 

 GDP順位   国     G20参加国  GDP[百万US$]  対世界比率  同左累計
 23位  アルゼンチン  ◎        632,241    0.6%    -
 38位  南アフリカ   ◎        405,705    0.4%    -
 41位  パキスタン   ×        376,493    0.4%    -

 

 この3か国は、G20に入っている地域グループの欧州連合(EU)と同様の手を使って、単独ではなく、アルゼンチンは米州機構(OAS)として、南アフリカアフリカ連合(AU)として、パキスタンは南アジア地域協力連合(SAARC)として入ってもらおう。
 この結果、「世界主要国会議」はGDP上位20か国と4組織(EUOASAU、SAARC)となった。

 

●人口の観点から世界主要国会議を夢想する
 ここまで、経済的な影響力を中心に考えて「世界主要国会議」をGDP上位20か国と4組織(EUOASAU、SAARC)が参加する場としたが、これでいいのかという疑問が生じた。


 究極の理想として「世界が一つの国になる」という考えがあると思うが、もし一つの国だとしたら「経済的な影響力を中心に考えてメンバーを選んだ会議」ということはどういうことを意味するだろう。国の問題や課題を話し合う会議を、お金持ちを中心に考えたメンバーで行うということだ。日本では、いや世界のほとんど全部の国でこういう会議が沢山行われている。しかし、それは理想的なことだろうか。歴史を遡ると、国を統治するための意思決定を行う場である国会も、お金持ちだけが参加する選挙で参加者(議員)を選んでいた。それが良くないとの認識の下、現代の民主主義国では(色んな誤魔化しがあるものの)基本的には国民一人一人が同じ権利を持つ選挙で議員を選ぶようになっている。それなら、世界の問題や課題を話し合う会議は世界に生きている一人一人が同じ権利を持つという考えで参加国を選ぶのがよいだろう。

 

 このように考えて、今度は、人口が多い国を選び、その上で経済的・軍議的な影響力をある程度考慮することにした。
 国連人口基金UNFPA)の「世界人口白書2023」によると、2023年の世界人口は80億4500万人でランキングは次のようになっている。

 

 人口順位   国      人口      対世界比率  同左累計 GDP順位 
  1位  インド     14億2,860万人   17.8%   17.8%    5位
  2位  中国      14億2,570万人   17.7%   35.5%    2位
  3位  アメリカ     3億4,000万人    4.2%   39.7%    1位
  4位  インドネシア   2億7,750万人    3.4%   43.2%   16位
  5位  パキスタン    2億4,050万人    3.0%   46.1%   41位
  6位  ナイジェリア   2億2,380万人    2.8%   48.9%   31位
  7位  ブラジル     2億1,640万人    2.7%   51.6%   11位
  8位  バングラデシュ  1億7,300万人    2.2%   53.8%   35位
  9位  ロシア      1億4,440万人    1.8%   55.6%    8位
 10位  メキシコ     1億2,850万人    1.6%   57.2%   14位
 11位  エチオピア    1億2,650万人    1.6%   58.7%   62位
 12位  日本       1億2,330万人    1.5%   60.3%    3位
 13位  フィリピン    1億1,730万人    1.4%   61.7%   39位
 14位  エジプト     1億1,270万人    1.4%   63.1%   32位
 15位  コンゴ共和国   1億0,230万人    1.3%   64.3%   87位
 16位  ベトナム      9,890万人    1.2%   65.6%   37位
 17位  イラン       8,920万人    1.1%   66.7%   43位
 18位  トルコ       8,580万人    1.1%   67.7%   19位
 19位  ドイツ       8,330万人    1.0%   68.8%    4位
 20位  タイ        7,180万人    0.9%   69.7%   27位
 21位  イギリス      6,770万人    0.8%   70.5%    6位
 22位  タンザニア     6,740万人    0.8%   71.3%   75位
 23位  フランス      6,480万人    0.8%   72.1%    7位
 24位  南アフリカ     6,040万人    0.8%   72.9%   38位
 25位  イタリア      5,890万人    0.7%   73.6%   10位

 

 25位までとしたのは、常任理事国はすべて含めた上で切りがいい数だから(結構いい加減な理由だ)。この25か国で世界人口の70%以上になっている。またGDPの面では、1位~8位をカバーしている(8位までで全世界GDPの63.2%)。軍事力では1~7位のうち6位の韓国が抜けている。軍事的には韓国が入っていなくてもアメリカが後ろ盾なので問題なしとしよう。

 

 ここで注目したいのは、G20にもGDP上位20国にも入っていない国が11か国(パキスタン、ナイジェリア、バングラデシュエチオピア、フィリピン、エジプト、コンゴ共和国ベトナム、イラン、タイ、タンザニア)もあることだ。人口ベースで世界の主要国を考えると、経済力や軍事力だけで世界を見ることがいかに偏った見方であるかがよく分かる。

 G20に入っていてここに漏れている6か国(カナダ、オーストラリア、韓国、サウジアラビア、トルコ、アルゼンチン)はどうしようか。かなり独断的だが、米州機構(OAS)を加えてカナダとアルゼンチンを、太平洋諸島フォーラム(PIF)を加えてオーストラリアを、イスラム協力機構(これは地域グループではないが)を加えてサウジアラビアとトルコをカバーすることにした(韓国には泣いてもらう)。

 

 この結果、人口を基本に考えた「世界主要国会議」は上記の人口上位25か国と3組織(OASPIFイスラム協力機構)となった。


 私にはこちらの「世界主要国会議」の方がよいように思えてならない。

 


 

日本国憲法を読んで自分なりに考えた(第1回:上諭)

 憲法を改めて読んでみようと思ったのはいつだったか。たぶん、憲法改正について今よりもっと騒がしかった時だろう。その時に、改正について考えようとしたが、そもそも自分が憲法を全文きちんと読んだことがないことに気付いた。いや、大学の時に「日本国憲法」という科目を履修したはずだから、その時に読んだかもしれない。読んだとしても単位をとるためだったろうから、ほとんど何も考えなかったに違いない。それで、改めて全文読んでみようと思った。そして・・・忘れた。

 

 何の切っ掛けか、そのことを思い出したので今度こそ全文を読んでみようとまた思った。何もしないとまた忘れるので、とりあえずさっと読んでみた。日本国憲法は他の国に比べて非常に短い(短い方から5番目だそうです)ので、そんなに時間を掛けずとも一応読めてしまう。ざっと読んだ時に、いくつか気になる条文かあったがそれを無視して、とにかく最後まで読んだ。終わったら、どの条文がどう気になったか既に忘れていた。これでは意味がない。それで、条文を一つづつ取り上げて自分なりにその条文について考えてみる、ということを思い付いた。それを実行してみよう。今回はその第一回。

 

 日本国憲法の全文を掲載したサイトは色々あるがどれも同じはずだからどれでもよい。衆議院のサイトのもの(衆議院トップページ >国会関係資料 >国会関係法規-日本国憲法)を使うことにした。日本国憲法の前文の前に書かれているものがあるので、今回はこれを取り上げる。

 

=======================================
 朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。

 

御名 御璽
  昭和21年11月3日

 

    内閣総理大臣外務大臣   吉田 茂
    国務大臣             男爵  幣原 喜重郎
    司法大臣                木村 篤太郎
    内務大臣                大村 清一
    文部大臣                田中 耕太郎
    農林大臣                和田 博雄
    国務大臣                斎藤 隆夫
    逓信大臣                一松 定吉
    商工大臣                星島 二郎
    厚生大臣                河合 良成
    国務大臣                植原 悦二郎
    運輸大臣                平塚 常次郎
    大蔵大臣                石橋 湛山
    国務大臣                金森 徳次郎
    国務大臣                膳 桂之助
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 調べてみると、これは「上諭」というものらしい。日本国憲法大日本帝国憲法をその改正手続きによって改正(まるっきり全部取り換えたのだが)したので、公式令という天皇の行為により作成される文書の様式・基準を定めた勅令に従って公布された。公式令第3条第1項に「帝國憲法ノ改正ハ上諭ヲ附シテ之ヲ公布ス」という規定があり、同条2項に「前項ノ上諭󠄀ニハ樞密顧󠄁問ノ諮󠄁詢及󠄁帝󠄁國憲󠄁法第七十三條ニ依ル帝󠄁國議會ノ議決ヲ經タル旨ヲ記載シ親署󠄀ノ後御璽ヲ鈐シ內閣總理大臣年月日ヲ記入シ他ノ國務各大臣ト俱ニ之ニ副署󠄀ス」と定められているので、その通りの形式になっている。

 

 国立公文書館デジタルアーカイブ日本国憲法の原本(https://www.digital.archives.go.jp/gallery/0000000003)を確認すると、憲法の本文は印刷された活字だが、この上諭の部分は毛筆手書きになっている。署名以外の部分は多分官僚が書いたものだろう。上記で各大臣の名前のところは当然自分で署名し、「御名」となっているところは天皇が「裕仁」と署名している。「御璽」というところは「天皇御璽」というでっかい判子が押してあった。微妙なのは日付のところだ。公式令には「內閣總理大臣年月日ヲ記入シ」とあり、日付は内閣総理大臣吉田茂が書かなければならないが、署名と文字の太さが違うので日付は吉田ではなく官吏が書いたのかもしれないと思った。しかしそんなことがあるのか。吉田は日付と署名で別の筆を使ったと考える方がよさそうだ。なお、上記の引用は衆議院のサイトの改行通りだが、日付は内閣総理大臣が書くことになっているし原本の配置も日付は「内閣総理大臣外務大臣」のすぐ前にあるので、「御名 御璽」の後に1行空けて日付の後ろは行を空けないのがよいと思った。衆議院も結構いい加減だな。

 

 この上諭を見て先ず思ったのは、現在の憲法天皇により制定された欽定憲法であることだ。日本の降伏の結果としての日本の占領は、すべての政府組織と天皇を含む統治機構を残したままでその上に連合国最高司令官を置くという間接統治となったため(但し、降伏時に既に占領されていた沖縄・奄美・小笠原は軍政により直接統治された)、現在の憲法が旧憲法大日本帝国憲法)の規定に従ってその改正として行われたことは理解できる。

 

 上諭に帝国憲法第七十三条が示されているのでその条文をみてみた。

====帝国憲法第七十三条==========================
 1. 將來此ノ憲󠄁法ノ條項ヲ改正スルノ必要󠄁アルトキハ敕命ヲ以テ議案ヲ帝󠄁國議會ノ議ニ付スヘシ
 2. 此ノ場合ニ於󠄁テ兩議院ハ各々其ノ總員三分󠄁ノ二以上出席スルニ非サレハ議事ヲ開クコトヲ得ス出席議員三分󠄁ノ二以上ノ多數ヲ得ルニ非サレハ改正ノ議決ヲ爲スコトヲ得ス
=======================================

 

 第1項を見ると、日本国憲法天皇が議案として議会に提出したことが分かる。形式的にはそうなっているが、実際はGHQの指示により政府(憲法問題調査委員会)が案の検討を始め、GHQとのやりとりの結果最終的にはGHQから提示された案を若干修正したものであることは知っている。しかし、憲法案は天皇に見せてその裁可を受けているはずだから、そこに天皇の意思も含まれていると考えた方がいいだろう。

 

 憲法制定のプロセスについては多くの研究がされていて、また「押しつけ憲法」云々という論争がやかましい。その論争について私の意見がないわけではないが、ここではそのことに踏み込まない。

 私には、2016年に衆議院憲法審査会事務局がまとめた”「日本国憲法の制定過程」に関する資料”

https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kenpou.nsf/html/kenpou/shukenshi090.pdf/$File/shukenshi090.pdf

が分かりやすかったということだけ書いておく。

 

 あまり重要なことではないが、第2項をみてちょっと驚いた。これをみると、憲法改正に最低必要な議員数は両議院(衆議院貴族院)でそれぞれ半分以下(三分󠄁の二以上の出席で三分󠄁の二以上の賛成)となっていて意外と少ない。

 

 各大臣の名前をみて、知っている人がほどんどいないなと思った。知っているのは吉田茂幣原喜重郎石橋湛山の三人だけだ。このうち、石橋湛山は今年が没後50年にあたるので少し前にその評伝を読んだ。湛山は1956年に首相になったが病気のため65日で辞任してしまった。湛山がもっと長く首相をしていれば・・・と「歴史のもし」を考えてしまった。

 

戦争はいつ終わったのか?

 8月15日のことを考えた時に、別の記事に書いた「終戦」か「敗戦」かということの他に、戦争はこの日に終わったと言っていいのだろうかとも思った。

 あの戦争についてはある程度の知識を持っていると思っていたが、ネットを使ってあれこれと調べてみると知らなかったことが沢山あったので、検索しては読み、読んではそこに出てきてことについてまた検索するということを繰り返すことになった。その過程で色んなことを考えながら。

 

 あの戦争について書くことは難しい。ものの見方が書く人の思想や政治的な立場により大きく異なり、論争になっていることが多いからだ。私は私の見方で書けばいいし、またそうするしかないのだが、学術論争ならまだしも、ネットに反乱する不毛な言い争い(たたき合い)にうんざりしているので、使われている言葉や文章の断片に過敏に反応して思考停止に陥り感情的になる人がいるような、そんな言葉や言い方はなるべく避けたいと思った。

 

 戦争の呼び名からして、第二次世界大戦、太平洋戦争、十五年戦争大東亜戦争など色んな名称があり、過敏な反応を呼ぶ言葉になってしまっている。「あの戦争」と書いたのは、そんな事情からだ。しかし、そんなことを沢山の言葉について行うのはまず無理だし、言葉を選ぶためにやたらと時間がかかるので、言葉に拘ることはやめることにした。また、歴史的な事実だけを書いてそれに対するコメントはなるべく避けようかとも考えたが、そもそも取り上げる事実と取り上げない事実の選別が色濃く私のものの見方を反映することに気付いて、書き方についてもあまり気にしないことにした。

 

 前置き(言い訳?)が長すぎた。元々プログを始めたのが考えたことを書くということだったので仕方ないと自分を慰めて、本題に入ろう。

 

●8月15日を戦争が終わった日としたのは何故か
 あの戦争の終結についてはWikipediaの「終戦の日」をみると、そこに書かれている日付の意味として3つの考え方があることがわかる。
(1)組織的な戦闘が停止した時・・・・・・・・1945年8月15日(「玉音放送」)
(2)相手国との間で降伏文書に調印した時・・・1945年9月2日(降伏文書の調印)
(3)国際法上、戦争状態が終結した時・・・・・1952年4月28日(サンフランシスコ平和条約の発効)
 
 日本ではこのうち(1)を戦争が終わった日としているわけだが、他の国ではどうしているのか。(1)でなく(2)とする国が多い。アメリカ、中国(当時の中華民国も現在の中華人民共和国も)、当時のソ連(現在のロシアも)、オーストラリア、カナダ、フランス、ニュージーランドなどである。但し、日付は中国やソ連・ロシアのように9月2日でなく9月3日としている国もある。戦争に勝った連合国側の国が、日本が公式に降伏したことを意味する(2)を戦争の終わり(彼らにとっては戦勝記念日)としていることはよく分かる。
 
 日本の他に(1)を戦争が終わった日としている国としては、イギリスと韓国および北朝鮮がある。イギリスがそうしている理由は私には分からないが、韓国および北朝鮮については理解できる。朝鮮は当時日本に併合されていて国として日本と戦っていたわけではないので(2)を戦勝国として迎えたわけではない。(2)の結果として日本の植民地統治から正式に解放されたことは重要だが、日本人の一部として元からの日本人と同様に(いや、それ以上に)日本の戦争に組み込まれていたことが(1)により停止されたことが人々の現実としては大きかったのだろう。
 
(3)を戦争が終わった日としている国があるかどうかは知らない。
 
 日本が(2)や(3)としないのは何故か。(2)としないのは多分、戦勝国の多くが(2)としていることの逆で、戦争に負けて公式に降伏した日を戦争の終わりの日としたくないということだろう(但し、戦争の経過を最後まで説明せざるを得ない歴史教科書(特に高校の教科書)は例外で、8月15日で記述を終わることは出来ず、9月2日のことまで書いて戦争が終わったとしている)。なお、Wikipediaには、(3)の前日までの新聞で「9月2日を降伏の日や降伏記念日や敗戦記念日と称した」との記述があるが、[要追加記述]とされネット上の検索ではその事実は確認できなかった。
 
 日本が(3)としないのは、戦闘がなくなってあまりにも長い時間が経っているので、その時に国際法上で戦争状態が終結したということより、占領が終わって独立を回復したということの方が強く意識されたからだろう。しかし、ここで思い出さなければならないのは、サンフランシスコ平和条約により奄美群島小笠原諸島とともに沖縄がアメリカの信託統治領とされて占領が継続されたということだ(奄美は1953年12月25日、小笠原は1968年6月26日に日本に返還されたが、沖縄は1972年5月15日に返還されるまでずっと米国統治下に置かれることになった)。だから、沖縄では4月28日は本土から切り捨てられた「屈辱の日」として記憶されているのです。日本が受諾したポツダム宣言に「日本国の主権は本州、北海道、九州、四国および吾等(連合国)の決定する諸小島に局限せらるべし」という内容があって、たとえそうせざるを得なかったのだとしても、この日は本土の人間も含めて日本にとっての「屈辱の日」と考えるべきだと私は思います。
 なお、(3)については、サンフランシスコ平和条約ではソ連中華人民共和国との国際法上の戦争状態が終わらなかったことに留意する必要があります。(その後、中華人民共和国とは1972年9月29日の日中共同声明により戦争状態が終結したが、ソ連の後継国家であるロシアとはいまだに戦争状態が終結していない)。
 
 ここまでで戦争が終わった日として日本が(1)を選んでいるのは考え方としては妥当だろうと確認した。
 次に日本で(1)を戦争が終わった時とした場合に、その日付を1945年8月15日としていることについて考えてみたい。
 
 1945年8月15日の正午からラジオで天皇の肉声による放送(「玉音放送」)が行われたことは事実だ。それよって、軍隊に所属している兵士は戦う必要がなくなり、非戦闘員である国民も相手国からの攻撃にさらされることがなくなったのだとしたら、それを戦争の終わりとするのが人々にとって一番適切なことのように思われる。しかし、本当に「玉音放送」により戦闘が終わったと言えるのだろうか。戦闘が終わるには自軍だけでなく相手国が攻撃をやめることが必要だ。「玉音放送」は日本国内向けの放送であることを考えてみれば、それにより必然的に相手国からの攻撃がなくなったりはしないだろう。それでも、結果的には8月15日に戦闘が終わったのだろうか。先ずは、事実としてどのように戦闘が終わったか確認してみよう。
 
 現在の日本領土の範囲では、1945年8月15日をもって相手国が攻撃を止めて戦闘が終わったことは事実のようだ。しかし、ここには3つの大きな例外がある。一つはもちろん沖縄県であり、ここでは1945年3月26日から始まった悲惨で残酷な地上戦の末に組織的戦闘が6月23日(「慰霊の日」)に終わっていた(6月23日は司令官の牛島中将ほかの司令部が自決した日だが、司令部が壊滅してもそれを知らない兵士たちが抵抗を続け散発的な戦闘や住民の殺害なども続いた。これは8月15日以降も続き、沖縄での降伏文書への調印は9月7日のことである)。沖縄での悲劇的な地上戦のことは全国民が忘れてはならないことだ。この点では平成天皇(現上皇)が皇太子時代の1981年8月7日に、どうしても記憶しなければならない4つの日として、終戦の日(8月15日)、広島原爆の日(8月6日)、長崎原爆の日(8月9日)とともに、沖縄慰霊の日(6月23日)をあげたことは評価している(この4つの日は「忘れてはならない4つの日」として宮内庁のHPに掲載されている)。
 
 もう一つは小笠原諸島硫黄島で、ここでも日本軍とアメリカ軍の壮絶な地上戦が行われた。戦闘は1945年2月19日に始まって3月26日に終わった。戦争の悲惨さはここでも変わらないが、沖縄と大きく違うところは住民がほとんど全くいない島での両軍の戦いであったことだ。
 
 最後は北方領土での戦闘である。北方領土の範囲は人により主張が異なる。日本政府の主張によれば、4島(歯舞群島色丹島国後島択捉島)のみが現在の日本領土である。これらの島では8月28日以降にソ連軍の侵攻が行われ9月5日までに占領が完了しているが、日本軍の抵抗はなく組織的な戦闘は行われていなかったようだ。日本政府の主張は、サンフランシスコ平和条約で領有権を放棄した千島列島にはこの4島が含まれないということだ。しかし、ソ連およびその後継国家であるロシアがサンフランシスコ平和条約に署名・調印せず、ロシアとの間では国際法上はいまだに千島列島の放棄自体が確定していないと考えることも可能だ(但し、これはあくまで現在は確定していないということであって、将来ロシアとの間で平和条約が締結されるとしても、「日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州、四国及吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ(原文は英語)」と書かれたポツダム宣言を受諾した降伏文書にソ連も調印しているため、全千島列島が日本領土として確定することはあり得ないだろう)。仮に全千島列島に範囲を広げれば最北端の占守島では8月21日に日本軍が降伏するまで戦闘が続いた。
 
 このような重大な例外を忘れることは許されないが、日本本土では8月15日を最後に(8月15日午前に千葉県で英軍の爆撃と日本軍による撃墜があった)連合国軍の攻撃が停止され戦闘がなくなったという事実は大きい。一方、外地では8月15日に戦闘が停止されたわけではない。各地の日本軍が戦いをやめその地域の戦闘相手に対して降伏して武装解除に応じるまで戦闘は続いた。日本軍の降伏は8月15日以降、主に9月から10月かけて各地で行われたが、中国東北部関東軍の一部の部隊は11月頃まで戦闘を続けた。さらに、南方では日本軍の降伏のあとも、孤立した兵士が終戦を知らずに残っていて散発的な抵抗があったりした。このような状況から、戦闘の終了は各地ばらばらであり、最後の戦闘終了がいつどこであるかもはっきりしない。
 
 このような事情から、日本軍のすべての部隊の戦闘終了をもって戦争の終了とすることは不可能であるため、大多数の国民が住んでいた日本本土で戦闘が終了した8月15日を戦争の終わりとしたことは仕方がないことだろうと思った。
 

●8月15日の何が戦争を終わらせることになったのか
 8月15日の「玉音放送」により戦争が終わったというのは本当だろうか。この放送については、今まで「堪え難きを堪え 忍び難きを忍び・・・」など一部分しか知らなかったので、全文を読んでみることにした。読んでみると、国民に知らせたことは「政府に命じてアメリカ、イギリス、中国、ソ連の4国に対してポツダム宣言の受諾を通告させた」(帝国政府をして 米英支蘇四国に対し その共同宣言を受諾する旨通告せしめたり)ということだけであり、あとはその理由と自分の思いをかなり長く述べたあとで、国民に対して、軽挙妄動を戒めるとか、日本の続くことを信じて全力を未来の建設に傾けて世界に遅れないように心がけよとか言って、最後に自分の思いに従えと命じている文章だった。かなり難しい言い回しが多く、これをラジオの放送で聞いてその意味をすべて理解できたのは国民の少数であったのではないかと思った。しかし、天皇の録音盤再生のあとNHKアナウンサーによる解説と同じ文章の再読もあったようなので、細かいところは別にして少なくともポツダム宣言を受諾した(戦争に負けた)ことは人から人への伝聞も含めてかなり広く伝わったようだ。

 
 この放送は前日(8月14日)に発布された詔書終戦詔書)をそのまま読み上げたものだった。これはポツダム宣言の受諾を国民に伝えた内容だけで、詔書に軍に対する停戦命令が全くないことに初めは驚いた。しかし、天皇大日本帝国憲法において陸海軍を統帥すると定められているものの、実務的には天皇が直接軍に対する命令を発するのではなく、天皇の意を受けた軍の統帥機関が命令を出すことになっていた。戦時中は大本営が設置され、これが最高統帥機関として陸軍および海軍に対して命令を出していたということが分かって納得した。

 

 実際、大本営は8月14日の詔書発布を受けた最初の命令を8月15日に大陸命第1381号と大海令第47号として陸軍と海軍に出していた。しかしそれは「各軍は別に命令する迄各々その現任務を続行すべし 但し積極進攻作戦を中止すべし」(大陸命第1381号)や「何分の令ある迄対米英蘇支積極進攻作戦は之を見合はすべし」(大海令第47号)というものであり、即時停戦・降伏し武装解除に応じるように命令するものではなかった。その後、8月16日以降に次々と条件付きや対象地域を除外した停戦命令が出され、最終的には8月22日に至ってようやく全軍に対して8月25日0時以降一切の武力行使を停止することが命令された。先に書いたように、外地ではこれ以降も様々な事情により戦闘が継続したところもあったが、少なくとも本土では8月25日以降日本軍の抵抗を受ける恐れがなくなったと連合国軍は考えたようだ(本土では8月15日を最後に連合国軍からの攻撃は停止されて戦闘はなくなっていたが、その後も上陸進駐すれば交戦になる可能性があると連合国軍は考えていたらしい)。この結果、8月27日から連合国軍の日本進駐が開始されることになった。

 

 このようなことを踏まえると、時間はかかったものの少なくとも本土では8月14日の証書(それが8月15日に放送された)が起点となって戦闘終結に至ったことが理解できた。

 

 最後に残ったのは、なぜ連合国軍は日本国内向けであるポツダム宣言受諾の放送が行われた8月15日をもって日本本土への攻撃を停止したのかということだ。これは、日本政府内でのポツダム宣言受諾に関する協議から8月15日に至る経緯を知ることにより理解できる。

 

・8月6日の広島への原爆投下と、8月9日のソ連宣戦布告と満洲国や樺太への侵攻および長崎への原爆投下を受けて、8月10日0時過ぎから開かれた御前会議でポツダム宣言受諾について議論された。この会議では、天皇の地位の保障のみを条件してポツダム宣言を受諾すべしとする主張と、受諾には多数の条件を付けて条件が拒否されたら本土決戦をするべきという主張に別れて紛糾したが、天皇が和平を望んでいることを口にしたことにより議論が受諾に収束したということになっている。この時の天皇の決断については、その意図を原爆投下を受けて国民のこれ以上の被害を避けようとしたという説と、ソ連の参戦・侵攻を受けて日本の共産化による身の危険を避けようとしたという説があるが、ここではその是非を論じない。この御前会議に引き続き3時から行われた閣議で政府としてポツダム宣言の受諾を決定した。


・8月10日午前8時に日本政府は、ポツダム宣言受諾により全日本軍が降伏を決定する用意がある事実を、海外向けのラジオの国営放送を通じ日本語と英語で3回にわたり世界へ放送し、また同盟通信社からモールス通信で交戦国に直接通知した。この時点では、日本政府により正式にポツダム宣言受諾の意思があることが表明されたものの、日本軍や一般市民に対してはそのことは伏せられていて、軍に対する停戦命令も出されていなかった。


・8月12日午前0時過ぎに連合国は、連合国を代表するものとしてアメリカのバーンズ国務長官による日本のポツダム宣言受託への正式な返答(「バーンズ回答」)を行った。この回答にあった天皇の地位に関する記述の解釈について外務省と軍部で対立が起こり、この日は日本の対応が決まらなった。


・8月13日に2回に渡って行われた政府と軍の最高戦争指導会議で、国体護持をめぐり議論が紛糾したが、最後にはポツダム宣言の即時受諾が優勢となった。しかし連合国では、「バーンズ回答」から1日以上経っても日本政府からの正式な回答がなく、また日本政府はポツダム宣言受諾の意思を日本国民および前線に伝えなかったために、日本政府と軍の態度を懐疑的に見ていた。


・8月14日午前11時より行われた御前会議で、陸軍側が戦争継続を主張したが、天皇の判断により最終的にポツダム宣言の受諾が決定されるとともに、天皇によるラジオ放送を行うことも決められた。これを受けて、「終戦詔書」が用意され、夕方には閣僚および天皇による署名が行われた。またスイス公使を通じて、ポツダム宣言受諾に関する正式な詔書を発布した旨が連合国側に伝えられた。しかし連合国は、未だ日本国民や軍に向けての通達が行われないままであることから、軍の戦闘体制は崩さぬままであった。


・8月15日に正午から「玉音放送」が行われ、これを受けて連合国の本土への攻撃が停止された。

 

 これをひとことで言えば、連合国はポツダム宣言受諾の連絡を受けても全面的には信用せず、それが国民に伝えられて初めて完全に了解されたということだ。このように考えて初めて、「玉音放送」によって日本本土での戦闘がようやく終了したということが理解できた。

 

●8月15日は本当に戦争の終わりか
 ここまで書いてきたことは、国としての戦争の終わりをどう考えるかということだ。しかし、それだけでいいのか。重要なのは国ではなく人々ではないのか。それぞれの人にとってはその人の戦争の終わりがあるのだろう。ここまで書いてきたことの中でも、戦闘の終わりが人々がいた場所によって異なるということがあった。しかし、人々にとっては戦闘の終わりが戦争の終わりではない。

 

 戦闘が終わった後で、人々はあるいは犯罪人として裁判にかけられ、あるいはシベリアに抑留され、あるいは命からがら日本に引き揚げ、あるいは外国に残って一生を終えた。日本に帰ってきた人もある人は手を失いまたある人は足を失ってその後を暮らさねばならなかった。国内にいた人も、あるいは家を失い肉親を失った状態から再起を図らねばならなかった。また、原爆の被害者になった人々は長く長く苦しまねばならなかった。沖縄では長く米軍の支配を受けねばならなかったし、現在でも広大な軍事基地に囲まれて人々が暮らしている。人々にとって戦争は悲惨な記憶を含めて死ぬまで終わらないものかもしれない。いや戦争を経験した人が死んでも、その子孫の人達のありようへの影響を考えると、人々にとって戦争はずっと終わらないものだとも思われる。

 

 No More War! Don't go to WAR!

8月15日 ― 「終戦」か「敗戦」か

 昨日は8月15日だった。新聞を見ると「終戦」という言葉と「敗戦」という言葉があった。78年前のこの日に戦争が終わった、そしてそれは敗れた戦争だったという事実に基づいた記事だ。「終戦」も「敗戦」も事実だが、終わったことに重点を置くのか、敗れたことを強調するのかの違いがある。

 

 世の中では8月15日を「終戦記念日」または「終戦の日」と呼ぶのが一般的なようだ。「敗戦の日」と呼ぶ人はほとんどいないだろうと思って検索してみると、れいわ新選組がこの言葉を使って声明を出していた。

 

 8月15日の各政党の声明・談話は次の通り。
  自由民主党        「終戦記念日にあたって 党声明」
  立憲民主党        「【代表談話】78年目の終戦の日を迎えて」
  日本維新の会    「【戦没者を追悼し平和を祈念する日】にあたって」(代表談話)
  公明党        「終戦記念日 党アピール 世界の平和、安全維持に貢献。対話による政党外交を実践」
  日本共産党        「終戦記念日にあたって」(書記局長談話)
  国民民主党        「戦後78年の終戦の日にあたって(談話)」
  れいわ新選組    「【声明】78回目の敗戦の日を迎えて」
  社会民主党        「敗戦78年にあたって(声明)」
  NHKから国民を守る党    「終戦記念日を迎えて【談話】」

 

 「終戦記念日」としているのが自民・公明・共産・N国、「終戦の日」は立民・国民、「敗戦の日」(または「敗戦」)がれいわ・社民。維新は「戦没者を追悼し平和を祈念する日」としているが、これは1982年4月13日の閣議決定より毎年の8月15日を期日として設けられた日の正式名称だ(厚生労働省のHPに閣議決定の文書が掲載されている)。
 この言葉遣いの違いだけで政党の考え方を決めつけるわけにはいかないが、れいわと社民が敗戦したことを強調しているのはやはり目立つ。また、維新がことさら政府が決めた正式名称を使っているのも、私には維新の国家主義的な性格を表しているように思われて興味深かった。立民と国民が、意図的かどうかは分からないが、記念日という言葉を避けて「終戦の日」としていることは心情的にわかるような気がした。

 

 私にも「終戦記念日」というのは「記念日」という言葉にちょっと抵抗感がある。暗く悲惨な戦争に関連して「記念日」という、お祝いすべき日によく使われる言葉を用いることへの違和感だ。例えば、8月6日は広島「原爆の日」と呼ばれるのが普通だが、これを「原爆記念日」とは言いたくない。記念日にあたる英語は「anniversary」または「memorial day」だと思うが、どちらも良いことにも悪いことにも使うらしい。「anniversary」は毎年巡ってくる日という意味で、「memorial day」は記憶にとどめておくべき日といった感じかな。しかし外来語として日本語になった「アニバーサリー」はどうしてもお祝い事の雰囲気が漂っている。「記念日」を「memorial day」の翻訳語だと考えられれば違和感は生じないのだが。因みに、日本記念日協会では「終戦の日」の方を採用している。
 しかし、戦争が終わったということを明るく平和な時代が始まる起点だと考えれば、お祝いしてもいい。「終戦記念日」という人はこちらのイメージなのかもしれない。あるいは、そもそも私と違って「記念日」にお祝いの匂いを感じないのかもしれないな。

 

 それでは、単に戦争が終わったと捉えるのと戦争に負けたと捉えるのではどちらがいいのだろう。私は、どちらかと言えばれいわや社民に親近感を感じる人間ではあるが、結論から言うと単に「戦争が終わった」と捉える方が適切だと思った。
 78年前のことなので、当時のことを実感として覚えている人は80歳以上に限られる。大多数の日本人にとっては自分が生まれてもいない過去のことだ。もちろん、過去の歴史的事実をどう評価するかは非常に大事なことだが、これは戦争そのものの評価ではなく、戦争状態から戦争がなくなった状態への変化の捉えかたの問題だ。それは戦争の評価とは別のこと。当時の人々がどう感じたのだろうという視点で決めた方がよいと思った。あくまで想像するしかないが、今までに読んだ本の記述などから想像すると、大多数の人々はようやく戦争が終わってほっとした・助かったという思いだったように思う。負けて悔しい・こん畜生などと思った人は少数だったのではないか。その時に外地にいた人はほっとしたどころか、助かるため・生き延びるために逃げなければならなかったし、それは負けたからだと思ったことだろう。その人たちを無視するわけにはいかないが、終戦時の人口約7,200万人のうち外地にいた人は約660万だということを考えれば、国民の大多数は負けたということよりも終わったということの方が重要だっただろうと思う。こう考えて、「戦争が終わった」と捉える方がよいと結論した。

 

 実は、この終戦か敗戦かということは非常に重大かつ難しい問題だと思う。終戦を重視すれば、たとえ敗れたとしても戦争が終わることが重要という立場に立つことになるし、敗戦を重視すれば、敗れることで耐え難い結果を引き受けるくらいなら戦争を続ける方がよいという立場に立つことになる。こう考えたのは、現在世界でもっとも大きな戦争であるウクライナ戦争のことを思い浮かべたからだ。ロシアにウクライナ南部・東部を不法占拠されたままでも人が死に続ける状態を止める方がよいのか、人が死に続けてもウクライナからロシアを追い出すまで戦い続けるべきなのか。そのどちらかを主張する人がそれぞれ沢山いるが、どちらがよいか私はにわかに答えることが出来ない。

消費税 ― コンビニのイートイン利用時の支払いについて

 10月1日からインボイス制度が始まる。経理担当ではなく個人事業主でもないので、自分には直接関係しないと分かっていたが、税率アップへの布石だとかいう話も聞こえて来たので、少し調べてみた。

 かなりややこしくて理解するのに時間がかかったが、分かってみると本当に「やばい!」内容で、直接影響を受ける人だけでなく社会全体に与える悪影響も大きいと思った。しかし、今回書こうと思ったのはそのことではない(インボイス制度の問題点についてはネット上で多くの人が語っているので、私が書く必要もない)。

 また、インボイス制度について調べる過程で、輸出大企業が税務署から巨額の消費税還付金をもらっている(例えば、トヨタ自動車は6,000億円もの還付金を受け取っているという試算がある)ということを知って驚いたので、そのことについても考えてみたいと思ったが、それも今回は書かない。


 消費税について改めて調べたことで、2019年10月の消費税税率引上げと同時に導入された軽減税率に伴い、コンビニのイートイン利用時の支払いについてあれこれ考えていたことを思い出したので、今回はそのことを書いてみたい。

 

 皆さんよくご存じのように、コンビニで食品を買う時に持ち帰りなら消費税は8%だが、イートインで食べるなら税率は10%。私はコンビニコーヒーを買ってイートインで飲むことが多く、軽減税率導入当時は買うたびにイートイン利用を申告するかどうか迷っていた。しかし、今では自ら申し出ることはしないと決めている。そうなった経緯について以下に書きます。

 

 一番初めは、コーヒーを買う時にいつも「イートイン使います」と言っていた。消費税を払うのは国民の義務だと思っていたし、コーヒーは100円(当時)で税金の差額は2円に過ぎないので、少し後ろめたい気持ちを持つくらいならきちんと払った方がよいと考えたからだ。その当時は(今でも)イートイン利用を申告する人は少ないらしく、軽減税率導入当初は税率10%のレジ打ちに慣れてない店員もいて、イートインを使うと言っているのに「100円です」と言われたことも何度かあった(その場合は私の不正ではなく店側の間違いと考えて100円だけ払っていました)。

 

 軽減税率導入から少し経った頃に、新聞の投書欄やネットで店内利用なのにごまかして10%の消費税を支払わない人を「脱税だ」と言って非難する声が出てきたので、本当に脱税になって罪に問われるのかどうか調べてみた。すると、私が根本的に誤解していたことが分かった。消費税の納税義務者は事業者であって消費者ではないのです。脱税とは納税義務者が不正行為により納税を免れることですから、納税義務がないのに脱税しようがありません。

 

 そのことを知ってからは、自ら「イートイン使います」と言うことはやめました。しかしそれですっきりしたかというと、そうではありませんでした。自分が店内利用を申告しないことによって、店側が消費税を過少に申告することになり、私が店側の脱税を助長した(脱税幇助)ということになるのかもしれない、あるいは店をだましたことになり詐欺にあたるのかもしれないと思ったからです。それで、脱税幇助になるかや詐欺にあたるかについて考えてみました。

 

 コンビニには消費税を正しく納めるために客がイートインを利用して食べる(飲む)かどうか判定する義務があります。しかし調べてみると、国税庁ガイドラインによると、例えば「イートインコーナーを利用する場合はお申し出ください」等の掲示をしてあれば、判定のために店側から客に店内飲食か持ち帰りかを質問する必要はなく、会計時点で客が店内飲食の意思を示した場合のみ店内飲食と判定するだけでよいのです。

 従って、客がイートインを利用すると言わずにイートインで食べていても(店が食べているのを知っていても判定は販売時点で行うことになっているので)、消費税を8%として問題はありません。店側から客に質問した場合でも、客がイートインを利用すると答えなければ、たとえ客が初めから(会計時点から)イートインを利用するつもりであったとしても店側は消費税を8%として処理してよいのです。

 

 このことを知って、私がイートイン利用を申告しなくても店側が脱税となることはなく、脱税幇助なんてことは全くないと結論できました。
 また、詐欺罪は被害者をだまして財産的な損害を与える行為なので、たとえ私がイートインで食べる(飲む)つもりなのに嘘をついてイートインを利用しないと言ったとしても、店になんらの損害も与えないため詐欺罪に問われることはないと考えられます。 しかし、私は嘘をつくのは好きではないので、会計時に質問されれば正直に答えることにしました。
 

 以上のような経緯で、私はコンビニでの飲食について「会計時に質問されれば正直に答えるが聞かれなければ自らイートイン利用を申告しない」と決めました。
 もし、昔の私のようにコンビニでの飲食時の消費税についてもやもやしている方がいて、その方の助けになれば幸いです。

消費者物価指数について

 朝食は毎日同じメニューだ。レーズンバターロール2個、トースト5枚切り1枚、チーズ1片、バナナ1本、ゆで卵(半熟)、プレーンヨーグルト(レーズンをトッピング)、野菜ジュース、牛乳、が定番。起きる時間が家人より数時間早いので、朝食は自分で用意して一人で食べる。この定番メニューの朝食は自分だけなので、これらの食品は自分で買ってくる。10日毎に買う卵と1kg単位で買うトッピング用のレーズン以外は、5日分を同じ店で毎回同じ品物を買う。5日毎に同じ物を同じ店で買うので、いやでも物価の上昇を実感することになる。
 先日(8月11日)買った時は1,589円だったが、記録を見ると同じものが1年前(2022年8月9日)には1,293円だったので、1年で何と22.9%も値上がりしたことになる。もちろんこれは、私が朝食用に買う限られた食品についての話だが、ほかの買い物についても値段がかなり上がっている印象がある。少なくとも食品については10%以上値上がりしているような印象だ。ところが、報道されている消費者物価指数はこのところ3~4%の上昇ということだ。このギャップはどういうことだろう。消費者物価指数は生活実態を反映していないのではないか。そう思ったので、消費者物価指数について自分なりに考えてみることにした。

 

●政府が発表する消費者物価指数
 消費者物価指数(CPI)は総理府統計局が毎月公表しているもので、最新は7月21日公表の2023年6月分だ(*1)。これをみると、冒頭に「ポイント」として
 (1)  総合指数は2020年を100として105.2
    前年同月比は3.3%の上昇  
 (2)  生鮮食品を除く総合指数は105.0
    前年同月比は3.3%の上昇   
 (3)  生鮮食品及びエネルギーを除く総合指数は104.4
    前年同月比は4.2%の上昇  
と書かれている。やはり、対前年の上昇率は3~4%となっている。これがあまりにも自分の実感と合わないので、消費者物価指数がどのように計算されるものなのか調べてみた。
 総理府統計局の消費者物価指数(CPI)のトップページ(*2)には、こう書かれている。

      「消費者物価指数は、全国の世帯が購入する家計に係る財及びサービスの価格等を総合した物価の変動を時系列的に測定するものです。 すなわち家計の消費構造を一定のものに固定し、これに要する費用が物価の変動によって、どう変化するかを指数値で示したもので、毎月作成しています。指数計算に採用している各品目のウエイトは総務省統計局実施の家計調査の結果等に基づいています。 品目の価格は総務省統計局実施の小売物価統計調査によって調査された小売価格を用いています。結果は各種経済施策や年金の改定などに利用されています。」

 
 これを見ると、(専門家でないのでよく分からないところもあり、また細かいところでややこしい話が色々ありそうだが)、消費者物価指数はおおむね次のように計算されていると思われる。
1.家計調査の結果に基づいて、家計で消費(購入/支出)されていると思われる品目とそのウェイトを決める(品目とウエイトは時と共に変化するので基準時点のものを用いる。現在の基準時は2020年となっている。)
2.小売物価統計調査の結果により、調査時点の各品目の小売価格を決める
3.各品目について伸び率(=調査時の価格/基準時の価格)を求めてウェイトを掛け、それを全品目積算した値に100を掛けて指数を求める
 
 この中で2は同じ品目で具体的な商品の選び方や店ごとの価格の違いが、消費者物価指数と私の購買行動で異なることがあるとしても、同じ品目内で各商品や各店での価格上昇率はそんなに大きく違わないと思う。3は単なる計算なので、消費者物価指数と私の実感が大きく異なる原因は1にあると考えられる。すなわち、家計調査に基づく消費構造(品目とそのウェイト)が家計調査と私では大きく違っているのではないかということだ。それで、家計調査について調べてみることにした。
 
 家計調査についても総理府統計局が色々な情報を公表しているが、そのトップページには次の説明がある(*3)。

     「家計調査は、一定の統計上の抽出方法に基づき選定された全国約9千世帯の方々を対象として、家計の収入・支出、貯蓄・負債などを毎月調査しています。家計調査の結果は、これら調査世帯の方々の御理解・御回答によって得られており、我が国の景気動向の把握、生活保護基準の検討、消費者物価指数の品目選定及びウエイト作成などの基礎資料として利用されているほか、地方公共団体、民間の会社、研究所あるいは労働組合などでも幅広く利用されています。」

 
 これを読んでまず引っかかったのは、「一定の統計上の抽出方法に基づき選定された全国約9千世帯の方々を対象として」というところだ。世の中には大金持ちも貧乏人もいるし、消費行動は人(世帯)によって様々だ。いったいどのようにして選ぶのだろう。「家計調査の概要」というページの中に詳しい説明があった(*4)。細かいことが色々書いてあって難しいが、ざっとみたところ出来るだけ幅広く色々な世帯が対象となるようにしていることは分かった。選ばれた世帯が(学生の単身世帯などいくつかの種類の世帯を除外しているものの)選ばれた世帯は概ね社会の縮図になっていると思えたので、ここまではよい。
 次に気になったのは「調査世帯の方々の御理解・御回答によって」というところだ。調査対象世帯には調査票(家計簿など)の記入をお願いすることになるが、そういう調査にきちんと答えてくれる世帯は、時間的にも経済的にもある程度余裕のある世帯ではないだろうか。もしそうなら、調査された世帯は社会の実態よりも裕福な方向にバイアスがかかっていることになる。また、調査結果を元に平均処理をしたとすれば、国民の収入が中央値を中心とした正規分布ではなく平均値が中央値より高い分布であるため、大多数の国民よりも収入の多い世帯の様子を表すのではないかと思った。これらの疑問の答えは、調査結果の家計収入を見ればわかるだろう。
 
 「家計調査報告 ―月・四半期・年―」ページの「家計調査 2022年(令和4年)平均 (2023年2月7日公表)」(*5)を見ると、収入についての調査結果は次のようにまとめられている。
  実収入
  勤労者世帯の実収入(総世帯)は、1世帯当たり  535,177円
         前年比                    実質 0.6%の減少      名目 2.4%の増加
  勤労者世帯の実収入(二人以上の世帯)は、1世帯当たり  617,654円
            前年比                    実質 1.0%の減少      名目 2.0%の増加
 
これは月当たりなので12倍すると、総世帯の平均年収入は約642万円となる。何と、私の世帯の収入よりはるかに大きい! こんな大きな収入の世帯をモデルとした消費構造は私の消費構造と大きく違っていても不思議ではない。
 
 消費構造が消費者指数のモデルと私の消費行動がどう違うのかを詳細に調べるのは手に余るので、「2020年基準 消費者物価指数 全国 2023年(令和5年)6月分(2023年7月21日公表)」(*1)にある「2020年基準 消費者物価指数 全国 2023年(令和5年)6月分」(*6)で大分類の物価変動率とウェイトだけ見てみると、次のようになっている。
   大分類    ウェイト(合計10000)  物価変動率
  食料       2626         8.6%(上昇)
  住居       2149        1.2%(上昇)
  交通・通信   1493        2.2%(上昇)
   教養娯楽     911        3.4%(上昇)
   光熱・水道    693        -8.3%(下降)
  諸雑費      607        1.3%(上昇)
  保健医療     477        2.1%(上昇)
  家具・家事用品  387         9.6%(上昇)
  被服及び履物   353        3.9%(上昇)
  教育       304        1.3%(上昇)
 
 物価上昇率の大きい食料のウェイトが26.26%となっているが、我が家の家計支出ではこの比率がもっと大きい。食料の値上がりが大きいので、これが私の実感と消費者指数の上昇率との違いの主な原因だと思った。
(なお、光熱・水道の物価が大きく下降しているのは、電気代が17.1%も減少しているためだが、その原因は私にはわからなかった)
 
 (*1)「2020年基準 消費者物価指数 全国 2023年(令和5年)6月分(2023年7月21日公表)」
 (*2)「消費者物価指数(CPI)」トップページ
 (*3)「家計調査」トップページ
 (*4)「家計調査の概要」
 (*5)「家計調査 2022年(令和4年)平均 (2023年2月7日公表)」
 (*6)「2020年基準 消費者物価指数 全国 2023年(令和5年)6月分」

 

消費者物価指数のあるべき姿について

 現在の消費者物価指数は国民の大多数の消費実態に基づいた物価指標になっていないのではないかと思う。統計の連続性を維持するために現在の消費者物価指数はそのまま続けるとしても、少なくとも家計収入が全体の中央値付近の世帯の消費構造に基づいた指数が別に必要ではないか。また、消費者物価指数(及びその元になる家計調査)が生活保護基準に使われたり、年金の物価スライドに使われたりすることを考えれば、「生活保護世帯物価指数」や「年金受給世帯物価指数」といったものも必要だろう。
 それらの指数を具体的にどのようにして算出するかについては、色々と難しい事柄があるだろうと思う。しかし、政治がそういう指数を算出して公表すべしと決めれば、きっと優秀な官僚や学者の方々が実現方法を考えてくれるだろう。 

ブログを始めることになったわけ

●始まり

 つれづれなる折には、心にはよしなしごとが浮かぶ。浮かんでは沈んで消えてゆくことが多いが、拾い上げて少しは考えてみることもある。だが、無知無学の悲しさ、思いは千々に乱れて考えは一向にまとまらない。そんなことを繰り返しているうちに、どこかで聞いた「書くことは考えること」という言葉を思い出した。書くようにすれば少しは考えがまとまる、のかもしれない。そんな思いで、考えてみたくなったことを書いてみることにした。
 とは言うものの、小学生のころから作文というものが大嫌いでまとまった文章を書いてみたことがなく、「好きこそものの上手なれ」が裏返った状態。上手い文章が書けるわけでもない。上手くなくてもいいが、筋道が立たずわけがわからないようでは困る。それでも、時間をかければ少しは意味のあることが書けるような気もする。ヨタヨタと考えモタモタと書くことになりそうだが、それでもいい。とにかくやってみようと思った。

●疑問

 少し前に考えてみようと思ってそのままになっていたことがあったので、手始めにそのことを考えてみようとした。するとすぐに、それを考えてどうにか書き終わったとしても書いたものをどうするのか、という自分への問いが浮かんだ。問いが浮かぶとほぼ同時に、書いたものは誰かに見せたいなと思っている自分に気付いた。えっ、どういうこと? 考えをまとめるために書くんじゃなかったっけ。目的が変わったのか。心の中を探ってみるとそういうことではないようだ。考えをまとめたい、そのために書いてみる、ということに変化はない。書くことは手段で、考えをまとめたいというのが目的だ。すなわち、書くことの前に考えをまとめたいという欲求がある。しかし、書いたものは誰かに見せたい、すなわち自分が考えたことを人に伝えたい、という欲求は確かにある。この二つの欲求はどういう関係にあるのだろう。このことを考えてみることにした。

●「考えをまとめたい」ということの意味

 考えをまとめたいという欲求、その元は何なんだろう。「まとめたい」というのは、あやふやなものをはっきりとさせたいとか、 ばらばらなものを整理したいとかいうことなので、まとまりの程度を良くしたいということ。何かについてより良いものが欲しいというのは、そもそも最初にその何かが欲しいということがある。従って、考えていることのまとまりの程度を良くしたいという前に、自分が考えている内容がどういうものであるかを知りたいという欲求があると言える。
 考えている内容を知るとはどういうことか。考えている内容を何らかの意味のあるものとして認識することだ。こう書いてみると、この認識の主体(思考)が、「考えている内容」を考えている主体(思考)に対して一つ上の階層にあるイメージが浮かぶ。そして、その階層のイメージは、次のような多重階層のイメージに広がる。外界からの入力を感覚器官でとらえてある感覚が生じ、その感覚について思考して何らかの認識を得ることから始まって、その認識がさらなる思考を呼び覚ましてその思考を認識し、またその認識が思考を呼び覚ましてその思考を認識するといった、どこまでも続き得る多重階層のイメージだ。

 例えば、耳から音が入り聴覚器官を通じて脳が音を知覚する(認識する、感じる)。その知覚(認識)が、これまでの様々な経験が蓄積された脳内の記憶と合わさって(この合わせる作業は思考と言ってもよい)、「セミが鳴いている」とか「アブラゼミが鳴いている」とかの認識を生む。その認識はまた新たにな思考を呼び覚まして「今年はちょっとセミが少ないようだ」と考えるかもしれない。そして、そう考えたことから(思考の認識から)その原因を温暖化と結び付けて考えるかもしれない。
 このような思考とその認識の連鎖はどこまでも続けることが出来る。こう考えると、そもそも「考える」ということは「思考とその認識の連鎖」と言えると思う。また、「感じる」ということと「考える」ということは繋がっていて(本質的には同じもので)、連鎖の階層の比較的低次の段階のものを「感じる」と言い、どこかからかは分からないが高次のものを「考える」と言っていることがわかる。「感じる」と呼ばれる段階から「考える」と呼ばれる段階の境界あたりまではほとんど無意識的に行われると思われるが、無意識的な段階も含めて本質的には同じメカニズムだろう。また、この連鎖の階層は高次になるに従って、その内容の種類によって二つに枝分かれし、一方は「思考」となり、もう一方は「感情」と呼ばれるものになるのかもしれないと思った。

 このような、「感覚」から始まって「認識」と蓄積された記憶の利用を繰り返しながら様々なレベルの「思考」や「感情」を生み出して行く多重階層のプロセスは、脳の働きそのものであり、ヒトという種の脳(特に大脳)を進化させて現在の人間になった原動力だろうと思う。「考えをまとめたい」というのは思考と認識の多重階層を昇って行って考えていることのまとまりの程度を良くしたいということなので、これは人間にとって本質的な欲求だと気付いた。
 もちろん、多重階層を昇ってゆく(考えていることのまとまりの程度を良くする)というのは、常に出来るだけ高次元の思考まで到達したいということではない。非常に漠然としたまとまりのない思考のままで終わることも多い。というよりそれがほとんどだ。それでも人間においては、感覚器官でとらえた感覚に始まって認識と思考の連鎖をある段階まで繰り返してゆくことは必ず行われる。そうでなければ、感覚器官でとらえた感覚に条件反射するだけの存在になってしまう。これは人間ではない。

 やや脇道に逸れるが、次のようなことにも気付いた。「思考とその認識の連鎖」の発端は感覚器官を通じた脳への入力であるが、感覚器官に入ってくる情報は視覚にしても聴覚にしてもその他の感覚にしても莫大な量であり、人間は何らかの興味や関心(この根源は生物としての有用性だろう)により極々一部を選択的に取り込んでいるに過ぎないし、圧倒的に多量の情報が棄てられている。しかも、その選択は感覚器官への入力から大脳への伝達過程やさらにその先の大脳での思考の過程で多段階に渡って行われる。そうでないと人間の処理能力を超えてしまう。感覚から多段階の思考の過程はどこかの段階で止まるが、その最終段階の感覚あるいは思考内容も多くは捨てられてしまう。しかし、極く一部は残ることがある。冒頭に書いた、心に浮んだよしなしごとが浮かんでは沈んで消えてゆくことが多い、というのはまさにこのことだ。

●「考えたことを人に伝えたい」ということの意味

 何かを人に伝えるためには、その何かを表現する必要がある。それでまず、表現するということについて考えみることにした。

 表現するということは、人の内面にあるもの(感じたこと、考えたこと、イメージしたもの)を外部に表すことだ。外部に表すには身体を使うほかないが、人間は言葉や道具を使うようになる前から、身体の動きそのもの(表情、身振りなどの動作)や身体から外界への何かの放出(音、声、息、涙など)によって表現してきた。これらのなかには、熱い物に触れた時に手を引っ込めるとか悲しくなった時に涙が出るとかいった生理的な反応や、驚いた時に上体を反らすとか思わず声が出るといった無意識的な行為もあるが、これらは現在も意識的な表現行為としても行われている。これらの言葉や道具を使うより前からある表現行為を考えてみた時に、その表現が何らかの感情や思い(考え)を人に伝えるために行われることが多いことに気付く。それでは、これらの表現行為は必ず人に伝える目的で行われるものなのだろうか。
 人に伝えるというのは意識的な行為なので、生理的な反応や無意識的な行為は人に伝えるためのものでないのは明らかだが、意識的な表現行為でも、何かがすごく上手くいった時のガッツポーズとか 心配事や悩みを抱えているときにため息をつくとかは、自分ひとりでいる時にも行うことがある。もしかすれば、意識的な表現行為はもともとは他人に伝えるためのものだったが、それを自分の感情や思いを自分自身に伝えるために利用しているのかもしれない。そう考えると、もともと他人に伝えるために発明されたと思われる言葉を使った表現行為でも、他人に公開することを全く目的としない日記があることも理解できる。日記には単なる事実の記録以外に、自分の感情や考えが書かれるのはごく普通のことだ。すると、公開を目的とせずに、日記という形式ではなく、感情や考えを自分に対してはっきりさせるためだけに文章を書くこともおかしなことではないだろう。一般化して言えば、他人に提示することを目的とせずに何かを表現することがあり得るということだ。これは言語表現だけでなく、絵画などの芸術表現などでも同様だと思う。ここまできてようやく、「考えたことを人に伝えたい」ということの前に「考えをまとめたい、そのために書いてみたい」ということが自分の中に元々あったと確信できた。

 「考えをまとめたい、そのために書いてみたい」というのは、書くことを使って出来るだけまとまった形で「考えたことを自分に伝えたい」ということである。この「考えたことを自分に伝えたい」というのは「考えたことを人(他人)に伝えたい」ということとは全く別のことである。「考えたことを自分に伝えたい」欲求が元々あったと確信したが、それでは何故それとは別の「考えたことを人(他人)に伝えたい」欲求が出てきたのだろう。「考えたことを人(他人)に伝えたい」欲求のために自分の考えたことを表現しようとし、それを表現するために「考えたことを自分に伝えたい」欲求が生じたという可能性を否定したわけだから、「考えたことを自分に伝えたい」欲求とは全く独立に「考えたことを人(他人)に伝えたい」欲求が生じたと考えるか、「考えたことを自分に伝えたい」欲求を実現する過程で何かを契機として「考えたことを人(他人)に伝えたい」欲求が生じたと考える他ない。全く独立に生じたとすればそれ以上考えるべきことはない。しかし、何かを契機として生じたと考える方がありそうに思える。それでは、その契機とは何なのか。契機があるとすれば、それは多分、表現するということだろう。もう一度、今度は「伝える」ということに着目して、表現するということについて考えてみよう。
 
 先に表現することを検討した時に書いた生理的な反応や無意識的な行為は、無意識的であるがゆえに他人に伝達するために行われるわけではない。しかし、外部(他人)から見ると、その反応や行為をした人の何らかの内的状態を表すもの(すなわち一種の表現)として受け取ることが可能である。それは、観察された反応や行為が自分にも起こることが認識されることにより、それが起こるときの自分の内的状態と結び付けて考えることが出来るからである。そのことがわかれば、人が意識的に他人に何かを伝えようとした時に、生理的な反応や無意識的な行為のうち模倣が可能なものを利用するということが起こるだろう。これが、人が他人に何かを伝えることの原初的な形式だったように思う。もしこれが正しいなら、人への伝達を目的としない無意識の行為が人への伝達を目的とする表現行為を生み出したことになる。
 人に伝達するための表現行為はそのようにして発生したとしても、元の形式を離れてどんどん発達してゆき、ついに言葉が生まれ、さらにそのあとも発達してゆく(この過程の詳細を考えることは手に余るので考えない)。ここで重要なことは、初め無意識の自己表現だったものが人への伝達のための表現に転用されたということと、伝達のための表現がどんどん発達したということだ。他人への伝達は集団を構成して生きてゆく人類にとって根本的に重要なことであり、その方法(表現)の発達が社会の進歩を支えたことは言うまでもないだろう。一方、他人への伝達を目的としない自分に対する表現が独自に発達するとは考えにくい。そのため、感情や思考の自分に対する意識的な表現は、他人への伝達のために開発された表現を使って行われるようになったと考えられる。
 このような経緯を考えると、自分に対する伝達表現は元々他人に対する伝達表現であり、その重要度や頻度から、自分に対する表現であってもその表現を他人に伝達しようとする傾向が自然と現れるように思えてきた。すなわち、「考えたことを自分に伝えたい」欲求は「考えたことを自分に対して表現する」ということを介して「考えたことを人(他人)に伝えたい」欲求に容易かつ自然に転化するだろうと思った。ここまで考えて、ようやく自分の中に生じた「考えたことを人(他人)に伝えたい」欲求を素直に受け入れる気になった。

 ここまで書いて来たことをまとめるとどうなるか。「考えをまとめたい」という欲求は人間にとって本質的な欲求として納得し、そのために書いてみたいということが自分の中に元々あったと認め、考えたことを書いて表現した(実際にはそれを想像した)結果として「考えたことを人に伝えたい」と思ったことを自然な欲求として肯定した、ということだ。また、考えるということは「思考とその認識の連鎖」であり、考えるをまとめるということはその連鎖の階層を昇ってゆくことであるとも書いた。
 では、考えたことを人に伝えるということは、考えをまとめる⇒その結果を表現する⇒表現したものを人に伝える、という一方向の流れなのだろうか。そうではない。考えをまとめるということが思考とその認識の繰り返しであったように、考えた結果を表現しようとするとうまく表現するためにさらに考えることが必要になるので、考えることと表現することは行ったり来たりの繰り返しである(思考と表現の連鎖)。また、表現したものを人に伝えるということは、充分に人に伝えられなかったと思えば、また考えてそれを表現して人に伝えるということなるのでここにも繰り返しが生じる(表現と伝達の連鎖)。しかも、この繰り返しは、人に伝える前に伝えることを想像するだけでも、うまく伝えたいと考えて表現を工夫するといった形で起こる(表現と伝達想像の連鎖)。従って、考えたことを人に伝えるということは、考えをまとめる⇔その結果を表現する⇒表現したものを人に伝えようとする(⇒考えをまとめるに戻る)⇒人に伝える(⇒考えをまとめるに戻る)、といった複雑な繰り返し作業になる。
 ここで重要なのは、うまく伝えたいと考えて表現を工夫するというところだ。元々は「考えをまとめたい、そのために書いてみたい」ということであったとしても、それと独立に生じた「考えたことを人に伝えたい」という欲求を肯定すると、人に伝えるために書くことになり、うまく伝えられるように考えることになるという事実を認識する必要がある。ここまでくると、初めから「考えたことを人に伝えたい」欲求があったのとほとんど同じだ。そうわかったら、経緯についてあれこれ考えずに「考えたことを人に伝えたい」欲求を受け入れた方がよいと思った。

●考えたことを人に伝える方法

 「考えたことを人に伝えたい」欲求があっても、人間は欲求の奴隷ではないので、その欲求を捨てることも出来る。しかし、欲求を実現するために人に迷惑をかけることが人が許容できないほど大きくはないのであれば、欲求に従ってもよいと思った。それで、迷惑の度合いに着目して人に伝える方法を検討してみることにした。

 そもそも自分の考えたことを人に伝えることをどうやってきたのだろう。仕事の場では当然、口頭やメールや文書で数え切れないくらい行ってきた。それらはほぼ全部が業務に関することに限られていて、職場内外で時々雑談する時の話題も軽いものばかり。個人的な相談事で会話することもあったが、それは個人的であるがゆえに限定された内容であった。
 世の中の色々なことについて様々な程度で考えることがあるが、それらについて人に伝えたい(話したい)と思った時は、家族や友人・知人に話してきた(文書にして示すなんてことはない)。日常生活で経験したことや、読んだ本の内容や、主にマスメディアを通じて世の中で関心を持たれている事柄などについて話すことが多い。それらの話題でも、単なる感想程度ならば特に問題はないが、話題にした事柄の原因や複数の事象の関係や意味付け等について自分なりに分析した内容を話そうとすると困ったことが起こる。それは、話を聞かされる相手が私が話す事柄に関心がない場合だ。関心がない事柄について、軽い感想程度ならまだしも、分析的で複雑な話を延々と聞かされることは苦痛以外の何物でもない。ましてや話される事柄が、日常生活やマスメディアの話題から大きく外れるならなおさらだ。
 もし、考えたことを文章にしてメールで送るという方法をとれば、相手は話を聞かされるより苦痛が少ないだろうが、それでも何か応答しなければというプレッシャーを感じて迷惑だろうと思う。文章を印刷して紙を渡すという方法(家族や友人・知人の間ではあまり普通の方法ではない)でも大同小異だ。そもそも問題は、伝える方法にあるのではなく、伝えたい内容に関心がない相手に伝えようとすることにある。

 伝えようとする相手が自分と同じ関心を持つ可能性が低いのは、自分の家族や友人・知人の数が限られているためである。多数の人を相手にして伝えようとすれば、その中には自分と同じ関心を持つ人がいる可能性が高くなるはずである。自分の考えを不特定多数に伝えようとする方法としては、古典的には紙にして道行く人に配るというやり方がある。これは、受け取って関心がなければ捨てるだけなので迷惑ではあるがその度合いはそれほど大きくない(但し、受け取った人とは別にゴミの発生や資源の無駄遣いという社会的迷惑がある)。しかし、この方法の最大の問題は紙を用意する経済的コストと配る時間的コストが大きいことだ。
 こう考えると(ここまで考えなくても)、インターネット上のサービス(ブログやSNS)を使うことが「考えたことを人に伝えたい」という欲求を満たす最適な方法であることがわかった。先ず、サービスの利用者が膨大であるので自分と同じ関心を持つ人がいる可能性が他の方法より高いだろう。また、迷惑という点から言えば、関心がない人はアクセスしないので、元々膨大な情報がある中に不要な情報(関心がものを見つける場合の雑音)がほんの少しだけ増えることの迷惑は無視できるくらい僅かだろうと思う。また、システムに与える負荷(主に情報を保持する記憶容量)は無視出来るだろう。

 最後に残ったのは、ブログにするかSNSにするかだ。どちらも使ったことがないので、ネット上の解説を見た限りの印象で選ぶことになる。SNSはフロー型で比較的短い文章が早い速度で流れてゆくのに対して、ブログはストック型で比較的長い文章が長時間残り続ける。この記事もそうだが、時間をかけて比較的長い文章を書きがちな身にはブログの方がよいと思う。また、SNSは発信・応答のコミュニケーションが盛んな特徴がある一方、ブログは情報発信主体で応答はあまり行われない印象だが、元々が自分の考えたことをまとめたいということだったので、この面からもブログの方が合っていると思った。
 
 以上がブログを始めることになったわけだが、やってみると恐ろしく時間がかかった上に、だらだらと長い文章になってしまった。次に書く時は、荒っぽくてもいいからもっと短くしようと思う。
 もし、この記事を読んで下さった方がいらっしゃれば、その方には深く感謝いたします。ありがとうございました。