辺民小考

世の中の片隅に生きていますが少しは考えることもあります ― 辺民小考

NHK受信料について

 テレビは観ない。だから家にテレビはない。それで、NHK受信料は私には直接関係がない。しかし昔は、テレビを観ていた時期もあったので、その時にはNHK受信料について考えた。そんなことは忘れていたが、29日に、NHKのインターネット配信にからんで視聴者に負担金を求めるという報道があって、またNHK受信料について考えるはめになってしまった。PCやスマホを持っているだけでNHK受信料を払えと言われるのか?
 報道された記事を読むと、NHKのネット放送を観たい人にだけアプリをダウンロードさせて料金を徴収する、ということなので、テレビ受像機を持っているだけで受信料を払わせようとしているテレビ放送とは考え方が違うようだ。しかし。先行きどうなるかは分からない。そんなわけで、またNHK受信料について考えることになった。

 

総務省がまとめた「NHKのインターネット業務の利用者の一部に負担金を求める提言案」
 総務省が8月29日にまとめた提言案のポイントは次の内容とのこと。
 ※日本経済新聞のネット記事(「NHKネット配信を必須業務化、視聴者に負担金 総務省案」より引用

 

 日経の記事によると、提言案は「テレビなどの受信設備を持たずにネットを通じて視聴する者に対して相応の費用の負担を求めることが適当」と言っているが、負担金はスマートフォンやパソコンなどを保有しただけでは求めす、ネット番組の視聴に際して①アプリのダウンロード②IDやパスワードの取得・入力③一定期間の試用や利用約款への同意――といった行為を条件とする考え方になっている。しかし、「災害時の緊急情報や重大事件など緊急度が高く、広く提供すべき情報は負担金を払っていないネット視聴者にも提供する必要があるとの見解も示唆した」とのことなので、NHKのネット放送について次のような可能性があると私は考えた。

 

1.ネット放送を「希望者のみ観る放送」と「国民すべてに必要な放送」に分ける
2.「希望者のみ観る放送」は料金を払った人だけが視聴できる
3.「国民すべてに必要な放送」は誰でも視聴できるが、料金は次のいずれかにする
 (A)ラジオ放送と同じように無料とする
 (B)テレビの受信契約がないPC・スマホ保有者から受信料をとる
 (C)PC・スマホ保有者すべてから受信料をとる

 

 ラジオ放送も昔は受信料をとっていたことや、全国の世帯の7割以上がすでにテレビの受信料を払っていることを考えると、(B)の可能性が最も高いように思う。もしそうなれば、私も払えと言われてしまう。もちろん、これは私の勝手な想像だ。

 

 「総務省放送法改正案を来年の通常国会に提出する見通し」とのことなので、来年の国会で審議されることになるが、もし私の想像通りである場合に反対の声が大きくなるだろうか。テレビ受信料を払っていない世帯は3割以下で若者の単身世帯が多いと思われることこと、その若者の政治に関する関心が低いこと、与党の自民・公明だけでなく維新・国民は反対しない(立憲は日和るし、反対するだろう社民・れいわ・共産は超弱小)と想像されること、そしてそれらの政党に投票している人が多数であること(投票しない人は政治への関心が薄い)を考えると、法案は通ってしまうように思えてならない。

 

NHK受信料について考えたこと
 NHK受信料について考えるのは今回が初めてではない。最初はもちろんテレビを観ていた時期だ。NHK訪問員が時々来て、受信契約しろと言うので考えざるを得なかった。次に考えたのは、「NHKをぶっ壊す!」とか叫ぶ政党が世間を騒がせた時。そして今回で3回目。(第2次安倍政権になって、百田尚樹が経営委員になったり、籾井会長の発言が物議をかもしたりした時にもNHKについて考えたが、その時は受信料について考えたわけではない。さらに、今年になって放送法解釈変更が国会で取り上げられ、政府・自民党からNHKを含む放送局への圧力と放送局側の忖度が問題になって、私も色々考えたが、その時も受信料のことは考えていなかった。)

 

 テレビを持っていた時は、NHKも観ていたが受信料は払いたくなかった。単にケチなため(お金がもったいない)から。それでも、NHK訪問員を追い返すために、理屈が必要なので放送法を調べた。NHKの放送を受信することのできる受信設備(テレビ)を設置した者は受信契約を締結しなければならないとあり、テレビの設置→受信契約の義務→受信料支払いの義務、という構造になっていることが分かった。なので、受信契約の義務を無視すれば受信料は払わなくてよい。受信契約をしなかった場合の受信料割り増しについての規定はあるが、そもそも受信契約をしなかった場合の罰則はない。それを確認して、NHK訪問員には「契約したくない、(契約は放送法で決められた義務だと言うので)放送法はおかしいと思うので従わない」と言って追い返していた。当時は、刑事上の罰則がなくても法律に違反すれば民事裁判で訴えられる可能性があることに思いが至らなかった。

 

 「NHKをぶっ壊す!」と叫ぶ政党(名前がころころ変わって面倒なので以下「N党」と略す)が存在感を増した時には、NHKの存在が必要かどうかなどの議論が少しだけネットにも出ていたので、もうテレビを観なくなっていたが、私も少し考えた。その時考えたのは、災害などの迅速で正確な情報提供や、企業からの独立性(広告収入に依存しない)を保った報道を行う民放でない放送局は必要だろうということ。しかし、NHKはいろんなことをやっている。娯楽番組やスポーツ番組は民放でもさんざんやっているので必要ないだろう、もし必要と思う人がいればその人たちだけ別にお金を払って観る形にすればよい。では、科学・文化・芸術や教育番組はどうするのか。この分野では昔は僕もNHKの番組をよく観ていて、上質な番組が多かった印象が強い。これらは、本質的に費用対収入を常に考えている民放では無理だろう。てなことを考えて、NHKは公共放送局として残す部分と民営化する部分に分割するのがいいと思った。民営化する部分は、自分で収入を得る方法を考える(利用者から料金を取るなり、広告を取るなりすればいい)として、公共放送局の費用はどうするか。その問題を私は以下のように考えた。

 

 今でもNHKは公共放送だと言っている。公共と言うのは、広く国民全体にとって必要なものという意味だろう。公共サービスは税金によって賄われるのが基本だ。ではなぜ、NHKは税金でなく受信料で賄われるようになっているのか。税金によって賄われると政府からの独立性が損なわれるといったことを言う人がいるが、そんなことを言えば税金によって裁判官に給与が支払われる司法の独立性は担保出来ないことになってしまう。税金によって賄われることが問題なのではなく、組織(人事を含む)や運営を政府から独立させる法的仕組みの問題だ。すると、税金で賄われない本当の目的は何か。私はここで、所得税累進課税であり、また国民だけでなく企業も税金を払うことに思い至った。要は税金で賄うということは、企業も負担し金持ちはより多く負担するということだ。一方、税金でなく利用者負担(受信料はこの考え方)とすることは、収入に関係なく皆んな同じ金額を負担するということだ。こうすると、収入が少ない人ほど重い負担になることは明らかだ。逆に言えば、NHK受信料という制度は、企業と金持ちの負担を貧乏人並にするというものだ。
 
 公共放送が広く国民全体にとって必要な公共サービスであるのならば、税金によって運営されるべきだ。そのために、税金の総額が増えてもいい。その税金は支払い能力に応じて行われるものだから。これが、公平ということだろう。このように考えたのが、N党が世間を騒がせた時の私の結論だった。その後、これを切っ掛けとして、私はすべての公共サービスについて、同様に考えるようになっていった。
 
 3回目の今回考えたことは、今後のネット放送の受信料のことだけだ(既に上述した)。現在の放送についての受信料については、N党が世間を騒がせた時の私の結論から変わっていない。


●補足(蛇足)
・テレビを持っていた時に、罰則がないのをいいことにして法律に従わない自分の態度に少し後ろめたさを感じていたのは事実だ。それで、最近になって、ある有名な人間(インフルエンサーというのかタレントというのかは知らないが)が、裁判で多額の賠償金支払いを命じられながら刑事罰がないことを理由に公然と支払わないことを言い、そんな人間をメディアが重用していることを知って驚いた。かっての私のような後ろめたさは感じないようだし、そんな人間を非難する人が少数であるのが今の社会のようだ。

 

・「N党」の時に、「企業からの独立性(広告収入に依存しない)を保った報道を行う民放でない放送局は必要」と考えたが、企業からの独立性を担保するには広告だけでなく、出演者を提供する企業への依存も問題であることが、「ジャニーズ問題」により私にも明らかになった。当時、思いが至らなかったことを恥じる。

 

・公共サービスは税金で賄うべし、という私の考えは、その後さらに進化(?)を遂げていて、「健康で文化的な最低限度の生活を営む」(憲法25条)ことはすべて税金で賄われる公共サービスによって実施されるのが良い(すなわちすべて無料)というところまで来ている。
 最低限度の量と質の見定めが難しいが、生きてゆくために必要な食料、住居、衣類、雑多な生活用品、医療、電気、ガス、水道、通信、交通、運輸はすべて無料(文化的なものの何を最低限度とするのかという問題はまだ考えていない)。こうすると、税金は非常に高いものになるだろう。しかし、誰でもが生きていくために必要なものがすべて無料なのだから、税金を払った残りのお金は必要なものの量や質を人並より増やすか、文化的により高度なものを求めるかにしか使う必要がない。そうなれば、普通の人はそんなに多くお金が残っている必要はないだろうと思う。
 しかし、よりよく生きたいというのは人間の本姓なので収入が多いほど並の暮らしより良い暮らしができることは必要だ。また多い収入を得たいと思う人の働きによって社会が進歩してゆく側面があることも事実だ。だが、多い人の手取り収入が平均的な手取り収入の何万倍もある状況でなければ社会の進歩がないとは思えない。徹底的な累進課税と手取り収入の上限設定という税金制度が、圧倒的に多くの人にとって望ましいことだと思っている。
 こんな夢みたいな(金持ちにとっては「悪夢」か)ことも考えて見たりしています。